●松下幸之助が見せた「仁王」の表情
そのころのPHP研究所は、売上9億円、しかも赤字でほとんど借金経営で、内部留保もほとんどゼロに近かったという状態でした。松下幸之助さんが買ってくれた株を、そのまま株券として持っていたぐらいなものでした。私の前に経営をやっていた人は、その経営状態を毎月報告するのですが、赤字ですね。でもその度に、松下幸之助さんが「いや、しゃあないな」と言うのですね。「みんな若い人たちは一生懸命やってんやから、しゃあないな」と。それで過ぎていました。
それで私も、前の人は月1回だったのですが、私の場合は1週間ごとに、先週はこうでした、先週はこうでしたと、毎週の報告に切り替えたわけです。私の前の人が赤字、赤字、赤字で、「しゃあないな、しゃあないな。みんな一生懸命やっているから」ということだったので、私も同じように報告をしていました。でも当然のことながら赤字ですよね。売上もそんなに伸びているわけではありませんから。そういう報告を毎週やっていたのですね。
それで2カ月ほど経って、6月の半ばを過ぎた頃、いつもと同じように「これだけの赤字です」と報告しました。売上もこれだけで、今月はこれだけですというような報告をしていた。その時もいつもと同じように言うのですね。「みんな若い人たちは一生懸命しているから、それはそれでしゃあないな、仕方ないな」ということを言う。
それはいつもの通りですから、私はその経理の主要簿をパタパタしまって整理しながら、ふいっと顔をあげたら、松下幸之助さんが眉間にしわを寄せて、今思い出してもとても怖かった。仁王さんのような顔をして、私をにらんでいるのですよ。その時の松下幸之助さんは、ベッドの上に座っていたのですね。松下幸之助さんは、どちらかというと体が弱かったですから、1年のうち半分ぐらいはベッドの上で、報告を聞いていました。その松下さんがベッドに座って、本当に仁王のように眉間にしわを寄せて、私をにらみ下ろしているわけです。
●「わしの言う通りにやるんやったら君はいらんで」
私は、何事かと思ってびっくりしました。そんな表情を初めて見ましたから。茫然自失して何だろうかと思っていたら、松下幸之助さんが一言、私の顔をにらみながら「君な、わしの言う通りにやるんやったら君はいらんで」と、こう言ったのです。
それにはびっくりしましたね。「わしの言う通りにやらんかったら、君はいらんで」と言うのだったら分かりますよ。でも言われたのは「わしの言う通りにやるんだったら、君はいらん」ということですよね。その言葉が、私の頭の中でぐるぐるぐるぐる回りました。松下幸之助さんの言う通りにやったら私はいらないというのは、どういうことなのかと。
私は、この一言で、私なりの経営者としての悟りを開いたわけです。要は、仕事すなわち経営というものは、結局、松下幸之助さんからの指示があって、その通りにやる、それでは駄目だということなのです。それは経営者、指導者ではないのですね。指示があったものに、それ以上の成果を上げて持ってこいと、そういうことを言っていたのではないか。赤字、赤字で、みんな頑張っているから仕方がないと言われても、それでよしとするのではなく、松下幸之助さんが思っていることに、さらにプラスした経営というか、仕事というものをしないといけない。だから、Aと言われたらAをやるのではなくて、Aプラスアルファにして返す。あるいはまた、Bと言われたら、BプラスCということで、何かを付けて返さなければいけない。
●指示以上にやることで自分自身が成長する
分かりやすく言えば、この数字の表を作ってくれと言われたときに、分かりましたと言って指示通りその表を作って持っていくだけではなく、指示はないけれども表と一緒にグラフも付けて、これをグラフにするとこうなりますと言って渡すような、そういうことです。この本を読んで何が書いてあるか報告してくれと言われた場合に、この本はこういう内容ですというだけではなく、そのさわりの部分や要所の部分をカセットテープに吹き込んで、それも合わせて持っていくということです。カセットテープに吹き込めとか、そんな指示はないのですよ。指示はないけれども、この本の内容を読んで説明してくれという指示に対して、この本にはこういうことですと説明をするだけではなく、説明もするけれども、時間があったときにはこれを聞いてくださいという、プラスアルファの仕事をする。具体的に言えば、そういうことですね。
経営というものもそうです。会長から言われたこと、社長から言われたことに対して、この通りやりましたというのではなくて、それもやるけれども、それ以上のことを付け加えるということで、実は自分自身が成長することにな...