●「ありがたい!」が松下幸之助の商売の原点
―― 次に、「心の中で手を合わすように」という言葉も、いま忘れられていることです。
江口 「心の中で手を合わすように」ということは、松下幸之助さんからしょっちゅう言われました。これも松下幸之助さんが商売を始めた頃の原体験から来る考えだと思います。
松下幸之助さんが最初、事業がなかなかうまくいかなかったことは案外知られていません。大阪電灯会社(現・関西電力)の検査員として働き、その間に自分で考案したプラグを実用化したいと当時の主任か課長に相談したのですが、「そんなものをつくっても仕方がない」と拒否されます。
その後、体が弱いことやさまざまな事情があって独立し、プラグを練物(合成樹脂などを練り固めたもの)でつくりますが、うまくいきませんでした。松下幸之助さんはずっと成功していたと思っている人が多いですが、最初はつまずいているのです。
ところが、会社が明日にも倒産するという時に街を歩いていると、扇風機をつくっている川北電気の社員とばったり会い、「そういえば、松下さんのところでは練物をやっていましたね。練物で扇風機の絶縁盤(碍盤)をつくってもらえませんか」と言われ、絶縁盤で息を吹き返していくことになります。
松下幸之助さんはこのように苦労して、起業、今で言う「ベンチャービジネス」を始めました。楽々と会社を発展させたわけではなく、最初はのたうち回っていたのです。その中で、アタチンプラグ(アタッチメントプラグ)などをつくり、お店に並べます。
松下幸之助さんは、「誰か買いに来てくれるやろかと思うと、夜も寝れんかった」と、よく私に語っていました。「翌日、お客さんが一人来て、一生懸命説明したら、買うてくれた。そうしたら、心も手も震えてな。その時のお客さんの顔は今でも覚えとる。お客さんが店を出ていく時、後ろ姿に思わず手を合わせたな」といった話もしてくれました。この時の「ありがたい!」という強烈な気持ちが、松下幸之助さんの商売の原点ではないかと思います。
●心の中で手を合わせながら叱っているか
江口 一方で、「人間とは素晴らしい存在である」ということから、あるいは「道行く人は皆、お客さま」という自らの哲学からも、松下幸之助さんは心の中で手を合わせることの大切さをしばしば言われました。
私は36歳の時に、...
(江口克彦著、東洋経済新報社)