●自分を批判する人をむしろ重用した
松下幸之助さんという人は面白いことに、自分を批判する人や問題点を指摘してくれる人を、むしろ重用し、自分の側に置き、呼びました。そして、自分に直すべきところがあれば、素直に聞き入れ、その身を正していこうとしました。
大徳寺の立花大亀老師は、松下幸之助さんよりも六つか七つ下でしたが「松下くん、松下くん」と呼びました。これはいかがなものかと私は側で思っていたものです。
これは余談ですが、佐藤栄作さんと松下幸之助さんがテレビで対談したことがありました。佐藤さんの方が何歳か若かったのですが、松下幸之助さんを「松下くん」と呼び、松下幸之助さんは佐藤さんを「佐藤さん」「佐藤総理」と呼んでいました。放送後、「松下幸之助さんの方が年上なのに失礼じゃないか。一国の総理であればこそ、松下さん、と言うべきだ」と佐藤さんへの批判の投書が届き、相当問題になったことがあります。
●老師はピタリと悪口や批判を口にしなくなった
それはともかく、大亀老師は、戦後の大徳寺を再興した有名な人でした。福田赳夫さんなど歴代の総理とも親密で、松下幸之助さんとも親しくしていました。しかし、禅宗のお坊さんとはあのようなものかもしれませんが、口が悪く、「松下くんは、どうもこの頃・・・」などと、松下幸之助さんの批判をあちこちで話していたのです。
まだ若かった私には非常に不愉快でした。また、批判は松下幸之助さんの耳にも入っていたのでしょう。あるとき、「君、今度、大亀さんと食事しようと思うんや。連絡を取ってくれ」と言われ、京都の真々庵で瓢亭のお弁当を取って設営したのですが、その時に「君も一緒に食べようや」と言われ、三人で食事をしました。
私は少し離れて座り、大亀老師は上座、松下幸之助さんは下座でした。いろいろな雑談から入り、松下幸之助さんが「私もいろいろと商売をやっていますが、自分の気づかないところもありましてなあ」と言うと、大亀さんはその誘い水に乗って「そうですよ」と言い、「あんたはねぇ」と言い出しました。
大亀さんの話は露骨で、「そんなことはないですよ!」と思わず口を挟みたくなるほどでしたが、私はそのような立場ではなく、我慢していました。しかし、松下幸之助さんは「そうですか、そうですか」と聞いているのです。大亀さんは全く方向違いのことを言っているのに、なぜ松下幸之助さんは「それは違います」と言わないのだろうと思いました。
それどころか、ひと区切りつくと、「それは私も気をつけんとあきまへんな。他にまだありませんか」と言うのです。大亀さんは今まで1時間も話した手前、取って付けたように「あれもあきまへん、これも考えないといかんです」と続けます。また30分ほどすると、松下幸之助さんは「教えていただいたことは、心に留めておきますわ。まだ、ないですか」と再び言いました。大亀さんも「それはまあ、その・・・」と、さすがに困った表情を浮かべ、また雑談へと戻っていきました。
大亀さんが帰る時、松下幸之助さんは玄関まで見送り、そこから門までは私一人で見送ったのですが、びっくりしたことに、その30秒ほどの間に、大亀さんは「松下くんは、偉い。こんな偉い人はおらんよ、あんた」と言いました。そして、それからピタリと悪口や批判を口にしなくなりました。
●松下幸之助さんは、相手の批判から勉強していた
似たような逸話はたくさんあります。今でも何人か、松下さんの悪口を言う評論家はいますが、多くの人は「松下幸之助さんは素晴らしい、魅力のある人だった」と言います。その大きな理由は、松下幸之助さんがこのように自分の陰口をたたく人を呼んで、目の前で批判や悪口を言わせたからではないかと思います。
松下幸之助さん本人は、相手の批判から勉強していました。「まだないか、まだないか」と言いながら、その批判のうち、反省すべきものと放っておいてよいものを心の中で取捨選択していたのかもしれないと思います。その一方で、松下幸之助さんは意識していなかったと思いますが、相手も言うべきことを言うことで鬱憤を晴らし、すっきりしていたのではないでしょうか。
私自身は、私の批判や悪口を言っている人をなかなか側に呼べません。不愉快に感じ、顔も見たくないと思うでしょう。多くの人が、私と似たようなものではないでしょうか。それを思うと、松下幸之助さんはよくあのようなことができたと思うのです。振り返ると、改めてすごい人です。
(江口克彦著、東洋経済新報社)