●本当の日本的経営では、「人」が先に立つ
―― (松下幸之助さんの「人間大事」は)非常に大事ですね。当時は世界的な大不況のさなかで、社員の解雇も簡単にできた時代なのに、それをやらないというのはすごいですね。
江口 そうなのです。結局、松下幸之助さんがそれをすることによって、会社がどんどん大きくなっていきました。
年功序列、終身雇用、企業内労働組合が日本的経営だと言われますが、これらは戦後のことです。戦前からの本当の日本的経営とは、“人を大事にする”ことが根本なのです。一方、アメリカ的経営とは“お金を大事にする”ことが先頭です。これが先頭に立つと、赤字になりかけたら、黒字を確保するために人を減らし、人件費を削って赤字を消していくというやり方になります。しかし、本当の日本的経営では人が先頭に立つので、“社員にいかにやる気を出させるか”という考え方になってくるのではないかと思います。
ですから、事業部制に象徴されるような松下幸之助さんの経営のやり方とは、社員にいかに感動を与え、いかにやる気を起こさせるかということが根底にあったのではないかと思います。
●真の経営者は、常に「次のカード」を懐中にしている
―― 松下幸之助は本当に大した人ですね。その当時から“人間大事”を考えていたのですね。
江口 そうですね。事業を推進していけば、どうしても人が余ってくるものです。なぜかというと、例えば、100人で事業を始めて5、6年も経てば、50~60人くらいでできるようになります。それは当たり前のことで、われわれも、一つのことを修得すれば、最初は10時間かかっていたものが、5時間程度でできるようになります。ひと昔前ですとタイプライターが打てるようになったり、また今であればインターネットやパソコンもそうでしょう。最初はもたもたしていますが、慣れてくればいじれるようになります。それと同じことです。
そうすると、40~50人が余ることになります。平成の経営者たちは、どうしてもお金を先行させますから、日本の経営は縮小していくのですが、余った40~50人を人員整理してしまいます。言ってみれば、リストラです。しかし、松下幸之助さんだけではなく、本田宗一郎さんや井深大さん、盛田昭夫さん、土光敏夫さんなど、昔の経営者は、余った人たちをリストラするかというと、しないのです。それは、松下幸之助さんが典型ですが、事業部制で新しい事業をクリエイトするのです。
新しい分野の仕事をつくり出し、例えばそこに余った40人を回す。それだけではなく、不足の60人をまた採用する。そうすると、最初のA事業部は100人から60人になったけれども、新しいB事業部はまた100人になります。そして、B事業部もそのうち60人で回せるようになりますので、リストラをせずに余った人を活用し、さらにまたCという事業をつくり出すことになり、ぐるぐると回ることになります。
要するに、人を大事にすると、経営が大きくなっていくのです。しかし、お金を優先する経営をやっていくと、限りなく縮小していくのです。これが、昭和と平成の経営あるいは経営者の決定的違いだと思います。ですから今、平成の企業が限りなく縮小しているのは、お金を追いかけているからです。
松下幸之助さんを見てきて感じるのですが、私は、経営者の責任は、限定的に言えば三つあると思います。一つは、社員を育てることです。二つ目は、会社の目標や経営に対する成果をきっちりと上げていくことです。それから、三つ目は、次の事業として何をやるのかを、いつも自分の中に持っていなければいけないということです。もし人に余裕ができたら、リストラするのではなく、「この事業をやろう」というカードをいつもポケットの中に持っている。以上のような三つの責任があると思います。
●フィルムから化粧品へ、医薬品へ。富士フイルムの先見
江口 そのようなことを、松下幸之助さんだけではなく昭和の経営者たちは皆やっていました。例えば、スーパーカブはやがて行き詰まるだろうと考え、本田さんは次にオートバイをやり、その次には軽自動車をやります。そして、レースに参加するなどして、普通乗用車をつくっていくなど、次から次へとやっていきます。
今の時代で言うならば、私は富士フイルムがそういう企業に当たると思います。あそこは富士“フイルム”と言いながらも、フィルムの売上は3パーセントくらいで、化粧品で25~30パーセントは売り上げています。あれはどうして化粧品になったかというと、デジタルカメラが登場してフィルムはこれから縮小するだろう、では次に何をやらなければいけないか、と考えてのことです。
説明を聞くと、フィルムは何枚かの薄いものが合わさってできていて、それを合わせているのりが...
(江口克彦著、東洋経済新報社)