●経営者の方と激しいやり取りをした
―― 松下幸之助さんは、“「勝てば官軍」はあかんよ”という生き方も貫きましたね。
江口 そうです。“「勝てば官軍」はあかんよ”ということについては、非常に印象深い話があります。まだ私がPHP研究所の経営に関わる前、PHPの秘書の時代に、松下幸之助さんと姻戚関係にある経営者の方と議論した時のことです。
その方は、「経営者という仕事は非常に厳しい。経営は、とにかく利益を上げなければ駄目だ。法に触れなければ何をやってもよい。勝てば官軍だ」と言うのです。「法に触れなければよいのではなく、人間的な考え方で利益を上げることが必要ではないですか。やり方も十分に考える必要があるのではないですか」と私が言い返しても、「君は経営者ではないから甘いことを言うが、勝てば官軍でよいのだ」と考えを改めません。そこで再び私が「それは違うと思います」と反論する。松下幸之助さんが横たわるベッドの前で、そのような激しいやり取りをしたことがあります。
ふと見ると、松下幸之助さんは目を閉じて、微動だにしません。寝ているのだと思い、「もうやめましょう。同じことの繰り返しですから」「そうしよう」と、経営者の方と私は静かに部屋を出たことを覚えています。
●自分は毅然として正しいことをやり抜かないと
江口 ところが、それから1カ月ほど経って、松下幸之助さんと雑談をしている時に、「君なあ、商売をやっているときに、勝てば官軍という考え方はあかんよ」と言われたのです。
戦前、加藤大観さんという真言宗のお坊さんが、松下幸之助さんに惚れ込んで、松下幸之助さんの健康長寿と松下電器の発展を祈り、毎日勤行されていたそうです。松下幸之助さんも話し相手になってくれるのが嬉しく、いつも大観さんに側にいてもらっていました。
ある時、過当競争、値下げ競争が業界で始まりました。他社がどんどん値下げをする中、松下幸之助さんは「原価を割ってまで過当競争をやれば、大企業が勝つに決まっている。そして中小企業がつぶれてから、大企業はまた値段を上げるのだ。そんなあくどいやり方は良くない。適正に利益を上げる経営や商売をしなければならない」という考え方で、値下げ競争には乗りませんでした。
ところが、相手は一向に値下げをやめず、値段には差がつくばかりです。さすがの松下幸之助さんも、「だったら、俺もやったるわ」と心に決めて、ある時、「もう、腹に据えかねた。私も値下げ競争に積極的に加わって、どこまでやれるかやってやろうと思う」と大観さんに話したのです。
すると、大観さんはこう言いました。「いつも静かな松下さんがそう言うからには、よほどのお考えでしょう。だから、やりたいのであれば、おやりになったらよいでしょう。しかし、私が思うに、相手が正しくなく、好ましくないことをやったからといって、自分も同じことをやるのは、大将たる人のやることではありません。相手が正しくないことをやったら、自分は毅然として正しいことをやり抜かないとならないのです。
それによって、松下さんの商品は買わないという人も出てくるかもしれないけれど、逆に、松下さんは正直だ、商品もしっかりしていると、新しいお客さんも来るかもしれません。“出船あれば入船もある”のが商売です」。
この言葉に松下幸之助さんははっと気づき、適正利益を確保した値段で商売を続けたのです。すると、大観さんが言った通りになりました。「そんなに高いのなら取引はやめた」というところも出てきましたが、逆に「松下さんは正直で商品も良い。少々高くても松下さんと取引したい」という新しいお客さんも来て、結局は損をせず、逆に利益が増えていったということです。
●目的とプロセスの両方を大事にしなければ
江口 「勝てば官軍」はあかんよ、という言葉は、今お話ししたような松下幸之助さんの体験から来ています。「勝てば官軍」、法に触れなければ何でもやるのでは、商売は駄目なのです。利益を上げるのは企業の目的の一つですが、その手段やプロセスも正しくなければなりません。目的が達成されたら何をしてもよいのでも、手段やプロセスが正しければ目的が達成できなくてもよいのでもないのです。目的とプロセスの両方を大事にしなければならないのです。
その議論から1年後に、私は松下幸之助さんから「君、明日からPHPの経営をやれや」と言われました。いま思えば、松下幸之助さんと姻戚関係にある当時の専務とのやり取りを見て、「少なくとも、こいつは真面目に経営に取り組むやつだ」と思っていただいたのではないかと思います。そうでなければ、私に突然「経営をやれ」と言うはずがありません。私の考え方を理解して、「経営をやれ」と言ってくれたのではないでしょうか。これは私の勝手な思い過ご...
(江口克彦著、東洋経済新報社)