●日本人は「依存」ではなく、むしろ「独立」した存在
余談になりますが、日本の音楽というものも日本画と同じです。交響曲のような、ヨーロッパのオーケストラの場合と比べるとですが、日本の鼓や琴、三味線というのは、音を聴いたら駄目だという人もいるのですね。では何を聴くかというと、鼓のその音と音の間の感覚を聴かなければいけない。これは、『ビルマの竪琴』を書いた竹山道雄という人の本の中に書いてあります。『日本人と美』という本だったかと思います。言ってみれば、芸術そのものも、聴く者が主体的に参加しなければいけないのです。主体的に入り込んでいかなければいけないということなのですね。
ルース・ベネディクトの『菊と刀』という70年ほど前の本では、日本人はお互いに依存し合っているといわれていましたが、決してそうではありません。一人一人が、ずいぶんと独立した状態、主体性を持って自立した存在であるのが日本人だということはいえるのではないかと思います。
●PHP研究所を松下電器から「独立」させた
いずれにしても、会社の経営をやっていくときでも、そういう主体性を持って、自主独立の気概を持って進めるということを考えていかないと、経営というものは成り立っていかない。私は(PHP研究所の)経営を始めて、それまでは9億円の売り上げのうち、80パーセント程度は、松下電器が全部買ってくれていたわけです。それでも赤字でした。それで私も、というよりほとんどの男性所員が、松下電器から出向だったので、松下電器から人件費が出ていたということになるわけです。
ですが私がやり始めてから、赤字がすぐ消えました。松下幸之助さんに「わしの言う通りにやるんやったら、君はいらん」と言われたので、これはいけないと思ってすぐ対応して、なんと3カ月後に5000万円の利益を上げ、以降34年間で250億円の売上で8パーセントの利益をずっと上げ続けるという、そういう会社にしました。
●唯一かつ最大の援護だった松下幸之助の一言
はじめは、松下電器が大体8割ほど買ってくれる、人件費も出してくれる、広告も宣伝部が出してくれる、そういう状態でした。それを私は、(経営を引き継いで)4年ぐらいしてから松下電器に行って、「もう新聞広告は出してもらわなくていいです」と伝えました。「PHPで広告を出します。給料も出してもらわなくてもいいです。そして、本も買ってもらわなくてもいいです」ということを伝えたわけです。これには、ずいぶん多くの人、そして松下電器の人からも文句を言われました。
私の先輩、年齢が上の人が15人ぐらいいましたが、15人全員が次々にやって来て、「そんな無茶なことをやったら、すぐに倒産する、PHPは立ちいかなくなってくる」ということを言われましたが、それでもやりました。それだけではなくて、成長戦略でいろいろな事業をし、いろいろな本を出していくということにしました。それまでは、ほとんど松下幸之助さんの本だけでしたが、それ以外の人たちにも手を広げていきました。
いずれにしてもずいぶんと批判され、非難されましたが、ただ1人、松下幸之助さんだけが「偉い」と言ってくれました。「それでやってくれ。そういう気持ちで、自主独立の気概でやってくれ」というようなことを言ってくれましたね。本当にあの時は、もう涙が出るぐらい嬉しかったです。松下幸之助さんしか評価してくれませんでしたが、それが最大の援護、最大の喜びでした。
結果どうなったかというと、瞬く間にどんどんどんどん売上が伸びていきました。先ほど言いましたが、8パーセントの利益を上げていきました。内部留保は、私が経営を引き継いだ時ゼロだったのですが、私が辞める時は、デフレの中で80億でした。いまは株が上がって120億ぐらいになっているのではないかと思います。
●チャーチル首相が見せた気概
結局、私は何が言いたいかというと、やはり自主独立というか、人に頼らず、自分を頼りに、自分を見つめて仕事をやっていくのが大切だということです。そういう心構えや気構えを持つ。誰かが何とかしてくれるとか、誰かに頼もうということではなく、自分が自分でやっていくのだ、自分一人で戦っていくのだということです。
戦っていくのだという話で急に思い出しましたが、第二次世界大戦の際、イギリスは、ヒトラー率いるナチス・ドイツに攻め立てられて、本土にも攻撃を仕掛けられました。その時に、イギリスの国民も軍隊も怖気づいてしまうのですが、時の首相であるチャーチルが、議会で“Alone very well”という名演説をするわけです。「あなた方が戦わないのだったら、私1人で戦ってみせる」と。私1人で十分だ。それが“Alone very well”ということです。この言...