●IMFという戦後レジーム
「戦後レジーム」という言葉があります。日本の安倍晋三首相がよく「戦後レジームからの脱却」という言葉を使うので、一般的に日本のことだと思っている人が多いと思いますが、そうではありません。世界の歴史における戦後レジームというと、一つにヤルタ会談がありますが、これはすぐに冷戦に直面して、ヤルタ体制が持続したとは思えません。戦後のレジーム(体制)で、今でもまだあるということで言うと、ブレトンウッズ体制です。ブレトンウッズ体制自体はもうすでに崩壊していますが、ブレトンウッズ協定でできたIMF(国際通貨基金)という世界の金融システムを決めるレジームが今でも存在しているという意味で、一体、戦後レジームとは何なのかを考える一つの材料にしていいのではないかと思います。
最近、IMFが人民元を決済通貨に加えました。つまり、SDR(特別引出権)を構成する通貨に人民元を加えたのです。アメリカドル、ユーロ、イギリスポンド、それから、人民元、日本円。人民元が入っただけではなく、日本円よりも構成比率が上にきているのです。ここに着目して、日本はどうなのか、あるいは中国の世界への影響を議論する切り口もありますが、今日は、「戦後レジーム」の方のお話をします。
●戦争の反省から金本位制・固定相場制に
まだ戦争が終わっていない1944年7月に、アメリカ・ニューハンプシャー州ブレトンウッズにあるマウント・ワシントン・ホテル(Mount Washington Hotel)に、44カ国から730人の代表が集まり、戦後の国際経済の仕組みを議論しました。これが「ブレトンウッズ会議」(連合国国際通貨金融会議)です。このブレトンウッズのマウント・ワシントン・ホテルとはどんな所かと思い、ボストンから見に行ったことがありますが、2時間以上かかったように思います。避暑地です。確かゴルフ場などもあったような記憶があります。
ここに集まって、国際金融のシステム、ルール、制度、手続きを決めました。国際通貨基金(IMF)、国際復興開発銀行(IBRD)などもここでつくったということで、まさしく戦後のシステムを議論しました。戦争の間に議論しています。誰がしたのかというと、イギリスからはジョン・メイナード・ケインズ、アメリカはハリー・ホワイトが来ました。ホワイトは、アメリカ国内で 、その後マッカーシー(マッカーシズム)の頃にはいろいろ批判もされますが、それはともかくとして、イギリスを代表する政治家と同時に経済学者であるケインズがやって来ていました。
どういう決め方をしたかというと、ドルを基軸通貨として、金とドルの交換レートを、金1オンス(トロイオンス:約31.1035グラム)=アメリカドル35ドルで固定しました。固定相場制、金本位制です。第二次世界大戦のきっかけになった経済的な背景として、それぞれの国が引き下げ競争など、金融においてさまざまな近隣窮乏化のようなことをしたことがあります。その反省から、新しい秩序をつくらなければならないという観点から、ここで戦後の体制を決めたわけです。
●ニクソン・ショック後もIMFは残った
その戦後の体制は、1971年8月15日、いわゆる「ニクソン・ショック」としてわれわれが記憶しているこの日に、ドルと金の交換を停止すると、アメリカが一方的に宣言します。この宣言によって、このブレトンウッズ体制は終焉します。そこから以降は、変動相場制です。変動相場制に移行しますが、IMFは依然として存続しています。現在までもIMFはあるわけです。
では、IMFは、ブレトンウッズ体制が崩壊した以降、一体どんな役割を担っているのかということになります。基本的には、為替の安定化、あるいは、国際的な金融秩序の維持を、国連の一部機関として行います。具体的には、加盟国の収支が悪化したときに融資をするのが、その役割の一つです。もう一つの役割は、為替の安定および各国の為替政策を監視することです。
先ほど申し上げたSDR(特別引出権)は、通貨のバスケットです(1969年創設)。ドル、ポンド、ユーロ、円という通貨バスケットをSDRという形で想定し、加盟国がIMFから融資を受けるときに、この準備通貨と引き替えにドルやポンドなどの通貨を融資してもらうという仕組みです。
●古い秩序で片肺飛行を続ける世界経済
問題は、ドルと金の固定相場の金融秩序という最初の役割は、すでに終わっているのに、まだ続いているというところです。変動相場制になった時に、SDRなどを使いながら維持しているわけですが、IMFはもっといろいろなことに直面します。
1997年のアジア通貨危機の際などは、タイ、インドネシア、韓国などに、「歳出削減をしろ」、「増税も...