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戦後のリベラルを振り返ると、今リベラルは大変旗色が悪い

戦後レジームとは何か~IMF、自民党、リベラル(3)リベラルの戦後史からの考察

曽根泰教
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
情報・テキスト
丸山真男、鶴見俊輔、加藤周一。それから、小泉信三、田中美知太郎、猪木正道、河合栄治郎に連なる人たちに、高坂正堯、永井陽之助。さらには、香山健一、佐藤誠三郎、西部邁、中嶋嶺雄まで――現在はリベラルには冬の時代だが、ひとくちに「リベラル」と切って捨てては見失うものは大きい。政治学者で慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授・曽根泰教氏が、さまざまな角度から戦後レジームを考察するシリーズ・第3回。(全3話中第3話)
時間:13:18
収録日:2015/12/03
追加日:2016/01/18
カテゴリー:
≪全文≫

●丸山真男・鶴見俊輔・加藤周一、三つの欠点


 リベラルの戦後史というお話をします。いまリベラルは大変旗色が悪いのですが、ただ、「リベラル」と一緒くたにされては困ります。戦後史の中で、もう少し中身を詳しく見てみましょうという角度からお話をします。

 リベラルで代表的なのは、丸山真男や鶴見俊輔、加藤周一というような、中でも若干左派にあたるリベラル派というグループがあります。私は、彼らの欠点を三つにまとめています。これを言うと、丸山門下の東大の先生連中は大変嫌な顔をするのですが、このように見てもいいのではないかと捉えています。

 その一つ目は、経済成長に関してです。彼らは、闇屋的経済成長に大変な嫌悪感を持っています。これは鶴見俊輔さんとお話をした時に感じたのですが、闇市から発達するような、いわば偽物やバッタ屋から仕入れたものを売るようなものに対して、大変な嫌悪感を持っています。彼らが求める経済成長は、マックス・ウェーバー的な自立した個人によるものです。

 大塚久雄さんを中心とした主体性論争というものがありましたが、プロテスタンティズムの倫理で経済成長資本主義の精神とつながるという角度から見ると、日本はどうも逸脱例だということになります。しかし、プロテスタンティズムそのものは日本にないとは言え、石門心学や武士のサムライの精神は成長の基礎になり得る。こういう角度から、マックス・ウェーバー的な宗教社会学的な手法を使って、資本主義はなぜ発達したのかを分析する人もいるわけです。いずれにしても、主体性論争の人たちに比べると、ごちゃごちゃな世界で発達していく経済というものは、あまり気持ちのいいものではなかったと思います。


●社会主義への親近感と、左右への目配り


 二つ目が、社会主義との距離です。やはり彼らは社会主義との距離は近かったのではないでしょうか。本人たちはマルクス主義者ではありません。ですが、社会主義を全面的に否定はしません。冷戦後、あるジャーナリストが丸山先生のところに伺って、「やはりもう少し社会主義を研究し直さなければならない」とおっしゃっていたと聞いたことがあります。

 公正や正義といった、社会主義、特にマルクス主義的な社会主義でも良質な人たちが唱えていることは採用しなければいけないと思います。ただ、その社会主義との決別があったのかどうかは一つの境目だろうと思います。

 三つ目は、右翼、ナショナリズムの台頭を大変警戒します。これは、今の雰囲気と戦後の雰囲気は相当違うので、文脈を知らない人は、なぜそれが批判されるのかと少し疑問に思うかもしれませんが、ナショナリズム、右翼の台頭の危険性を主張し、ずっと警告を発しています。

 しかし、その頃の日本に、そんなに右翼が出てくる余地があったのか。左翼が全盛の時代で、労働組合も強い時代でした。三井三池炭鉱の労働争議のあった1960年ごろまでは、「総資本対総労働の戦い」などと言っている人もいました。今では世界をリードするような会社にも、赤旗が立っていた時代がありました。大学ではマルクス経済学が全盛で、東大も、社研(社会科学研究所)を中心として、マル経(マルクス経済学)の牙城だったし、京都大学経済学部もそうでした。そんなことを言うと、「慶応はどうなの?」と言われますが、慶応にもマルクス経済学の人はたくさんいました。日教組(日本教職員組合)も強かった。

 そういう時代なのに、「右翼が出てくる、気をつけなければ」という議論は正しかったのかという批判がある。そして、それが思わぬ形で攻撃されます。東大闘争の時に、丸山先生の研究室が全共闘の連中に破壊されます。左からの攻撃を受けたのです。これはおそらく、右を警戒していたけれども、実は左の方に盲点があったではないかと思います。つまり、極左がいた、あるいは暴力的な左がいたということです。


●第二のグループ:小泉信三、猪木正道ほか


 こういうグループに対して、「いや、そのグループとは少し違う」というリベラルがいました。今の人から見ると、「皆、一緒のリベラルじゃないか」と思うかもしれませんが、そうではありません。例えば、小泉信三、田中美知太郎、猪木正道、河合栄治郎に連なる人たちなどがそうです。戦後、講和条約での全面講和か単独講和かという論争がありました。左からの攻撃は、「日本は全面講和をしなければならない」と言う。一方、「アメリカとの講和は単独講和」。これは争点が大きく違います。全面講和は、「中国やソ連を入れろ」という意味です。そんなことは当時あり得ない話でした。現実には、国連に加盟している多数の国と講和条約を結ぶわけです。それは一部ではあっても相当の数の国と講和条約を結ぶことです。日米安保条約を認める立場でした。

 この人たちは...
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