●軽視できない国民の社会的理性
皆さん、こんにちは。今日は、イランの選挙のプロセスと結果についての私の分析の最終章になります。
イランの現大統領、ハッサン・ローハニは、これまで行われてきた選挙と同じように、やはりある種の限界を持った大統領であることは、申すまでもないわけです。つまり、イランにおける選挙とは、民衆の異議申し立てを巧妙に使う。あるいは、不満を感じる民衆や有権者たちが、現在のイスラム政治体制が与えている枠組みや選択肢の中で、それなりに民主的な装いと手続きによって、何を選ぶのか。もしくは、このイスラム政治体制の中でどのように新しい息を継ぐのか。さもなければ、そういう枠組みを壊さない指導者を選ぶのか。言ってしまいますと、ローハニは、こうしたイラン政治で働いてきた社会的な理性や政治的な判断力を非常にクレバーに使って当選した大統領だということになるのです。そして、イランにおいては、今のイスラム政治体制という枠組みがある限り、こうした基本的な抑止力や自己規制が働かざるを得ない構造になっている。ここにイラン政治の特徴があるのです。
●投票した者としなかった者の間にある弁証法
一見すると、メディアで報道されているような改革穏健派対保守強硬派という二項対立や二つの対比関係は重要に思われますが、イランの政治で重要なファクターを隠しています。それは、何よりも歴史的に中東きっての非常に長い伝統を持ち、文明論的に高い自負心を持つイラン人の、ある重要な政治における一種の弁証法を隠すことになっているということです。弁証法、すなわち、相対立する構図、対立はしているけれども、その対立の中から一つ新しいものが生まれるという構造が、ヘーゲル以来の弁証法の構造です。
つまり、このイランの弁証法の構造とは何かというと、最初の話に戻りますが、私の考えでは、投票した者としなかった者、投票する者としない者との間の弁証法です。投票した人も、イランにおける民主主義の存在や、民主主義的に機能するとは到底思っていないイラン・イスラム政治体制に、全幅の信頼を置いているわけではない。しかしながら、彼らはあるメッセージを、イラン国内だけではなく、イラン国民として世界に発信したいという思惑が、彼らを投票に走らせたということです。
●選挙を通じて世界に発信された二種類のメッセージ
そ...