●CEUのハンガリー訪問プログラムが実現した
「ハンガリー訪問プログラム」についてお話ししたいと思います。これは島田村塾の第2期生がほとんど全員参加した大きなプロジェクトで、20人ぐらいのグループで行きました。
なぜハンガリーなのかというと、ブダペストにCentral European University(CEU、中央ヨーロッパ大学)という大学があるのです。誰が創ったかというとジョージ・ソロスさんです。彼はハンガリー出身で、アメリカに逃れた後、大変な実業家になりましたが、この方の強い思いと莫大な資金がCEU創設につながりました。
ハンガリーやポーランドなどの約20カ国をCentral and Eastern Europe(CEE、中東欧)と呼びますが、CEEはもともとヨーロッパの中心で、ヨーロッパで最も輝かしい権勢を誇った時代がありました。ところが現在のヨーロッパの中心はドイツ、フランス、イギリスなどで、西側が圧倒的に栄えています。それで、ソロスさんは地盤沈下しているCEEに頑張ってもらいたいと、祖国ハンガリーに立派な大学をつくり、熱心に活動に参加しているのです。
そのCEUに野村舞衣さん(在ハンガリー中欧大学経営大学院グローバル戦略連携マネージャー)という希有な日本人研究者がいます。この野村さんが島田村塾と親しくなられて、2年くらい前から「島田村塾もCEUのプログラムに参加しませんか」と言って、昨年は何と二度もCEUの校長先生を島田村塾に連れて来られたのです。校長先生は、ホーウィッチさんというアメリカ人です。
この写真はハンガリーのブダペストの街です。古く立派な建物が多いのです。遠くに見えるのがブダ地区の王宮です。ブダペストにはブダ地区とペスト地区があり、真ん中にドナウ川が流れています。私は25年ほど前ですが、ベルリンの壁が落ちた後に一度訪ねたことがあります。本当に美しい都市で目を奪われた記憶がありますが、25年ほど経って行ってみても、何も変わっていませんでした。私はパリに20数回行っていますが、パリよりブダペストの方がずっときれいだと思います。この日はたまたま曇りなのでぱっとしませんが、後で美しい晴れた日の景色を何度もお見せします。
ジョージ・ソロスさんが高く評価しているアメリカ人のメル・ホーウィッチさんは、ハーバード大学で大変有名だった方ですが、島田村塾をすっかり気に入ってくださり、ぜひ来てほしいと言われたので、「行きましょう」ということになったのです。
●初日はハンガリー大使館でランチパーティー
これはわれわれの泊まったホテルの1階です。次は英雄広場という歴史的な広場で、その次はドナウ川を走っている船です。長いでしょう。実はもっと長い船もあるのです。こうした船が上流から下流に行き来しています。この写真は国会議事堂です。素晴らしい建物です。こちらはチェーンブリッジという100年ほど前にできた有名な橋で、ブダペストの象徴のようなブリッジです。このような街並みです。
ところで、ハンガリーはさまざまな問題を抱えている地域です。後でまた出てきますが、約1年前、East Station(東駅)からウィーンやドイツにつながる鉄道があり、そこに何千人もシリア・イラク難民が押し寄せて大問題になりました。同じようにギリシャやイタリアにも難民が来て、そこからドイツに向かったために、アンゲラ・メルケルさんが苦境に立つことになったわけです。メルケルさんは難民を人道的に受け入れるべきだというポリシーを打ち出し、ついでEU全体で割り当てて、各国が何千人、何万人を引き受けましょうと言ったのですが、まったく共感を呼びませんでした。EUの3分の2ぐらいの国が反対し、ドイツ国内でもメルケル批判が起こったのです。メルケルさんは私が見たところ21世紀最大の政治家という感じがしますが、それでも難民問題は扱いにくいということです。
そのハンガリーに、20人もの将来有望な日本の経営者の俊秀が行き、ジョージ・ソロスさんが創った立派な大学で1週間勉強する。それを日本の在外公館が知らないのはおかしいではないかと思い、「われわれが行くので、対応してほしい」と大使に連絡を取りました。しかし、私たちの空き時間は到着の日の昼しかなかったため、「ご迷惑をかけてはいけないから、われわれがレストランを予約して大使をお招きしたい」とお伝えしたら、大使の方では「とんでもない。大使公邸に来てください。こちらでランチを提供します」とおっしゃってくださり、素晴らしいランチパーティーを開いてくださいました。これは大使公邸の部屋の庭を見晴らすバルコニーからの光景で、これは大使公邸の前で撮った写真です。このようにしてお迎えいただいたのです。
●この100年で小国になり、ソ連に支配された
ハンガリーの歴史に少し触れますと、ハンガリーはローマ帝国に端を発し...