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ロシアが中東問題で主導権を握るようになった経緯

中東和平とロシア・トルコ・イラン(1)米国抜きの調停へ

山内昌之
東京大学名誉教授
情報・テキスト
カザフスタンのアスタナで行われたシリア和平国際会議(2017年1月)
中東和平に向けて、ロシア・トルコ・イランの三国が協力関係を取っている。いったいいつから、中東問題においてロシアが主導権を握るようになったのか。その思惑と今後の展望は何なのか。歴史学者・山内昌之氏に解説いただく。(全2話中第1話)
時間:11:15
収録日:2017/02/09
追加日:2017/03/11
カテゴリー:
≪全文≫

●ロシア・トルコ・イランがシリア停戦を合意した


 皆さん、こんにちは。今日は、最近、ロシアとトルコとイランという三つの国の間にできている誠に不思議な協力関係、あるいは準同盟関係ともいうべき問題についてお話ししてみたいと思います。

 2017年の1月23日から24日にかけて、カザフスタンの首都アスタナにおいて、シリア和平国際会議が開かれました。そこでロシアとトルコは、最近のシリアについての情勢を分析し、イランとともに協力することを約束しました。一年(と数カ月)ほど前に起こったトルコ軍機によるロシア軍機撃墜事件を考えると、隔世の感があります。

 アスタナで開かれたシリア問題についての会議は、武力衝突(内戦)の停止と停戦違反を防ぐことを目的とし、ロシア・トルコ・イランの間で合意が得られたということになっています。

 ロシアがこうしたデリケートな関係性を維持し、シリアの将来における主なアーキテクト(建設者、設計者)になったのは、いかなる思惑なのでしょうか。これについては、過去と現在のパターンをよくよく並べてみますと、ロシアの成功した事例、あるいはそのやり方というものが見えてきます。


●矛盾した政策でグローバル・リーダーシップに向かうロシア


 現在のシリアで、アサド政権に代わって軍事状況を動かしているのはイラン革命防衛隊、実際に戦争の指揮を行っているのはクドゥス(アル=クドゥスはエルサレムの意)軍団だといわれています。2015年7月、このクドゥス軍団長であるガーセム・ソライマーニー氏がモスクワを訪れました。その後にロシアが本格的にシリア戦線に突入することになったわけです。

 ロシアはこれ以降、非常に大胆なシリア政策と戦略を展開しました。オバマ政権に向けて「何よりも休戦に向けて努力しよう」と言うと同時に、オバマ政権の外交努力を無視して戦争の当事国になるという、すこぶる矛盾した政策を取り出したのです。国際関係において、ロシア以外の国はなかなか取ることができない(または、取らない)不思議な政策ですが、ロシアにとっては思惑があります。

 国際連合や国連が支援する「ジュネーヴ・プロセス」、あるいはシリアへの国際支援グループなどをロシアは決して無視したわけではない、そして国連安保理の常任理事国としても国連やアメリカと協力をしている、というポーズを、端的にいえば見せかけ、あるいは装いとして示すことが、第一義にあります。

 第二には、こうしたプロセスを、政治・外交・軍事において同時に進めることによって、「ロシアは、グローバルなレベルにおいて、アメリカと対等な国家である(または、対等な国家に戻った)」ことを(日本も含め)国際世論に見せつけて、それを強く印象付けることが、ロシアの目標であったということです。

 ロシアの戦略はこの間、一貫して成功してきています。ロシアの強い「グローバル・パートナーシップ」ないし「グローバル・リーダーシップ」への復帰を前提にして、中東問題は今、ロシア主導下で進められているのです。アメリカは、オバマ政権末期において、中東における当事者能力をまったく失い、EUもブレグジットや内部対立、ギリシャ問題等々によって当事者たりえない。つまり、中東においてはロシアが独擅場になったということで、それはウクライナ問題においても同様であったのです。

 こうしたグローバル・リーダーシップを背景に、ロシアは日本とも関係調整に入りました。2016年12月から2017年にかけて、ロシアは新しい戦略的構想において日本と向き合い、新しい日露関係のフェーズに入ったということです。


●「政策なきシリア・ゲーム」は米外交史上の失態


 アメリカは、バラク・オバマ大統領とジョン・ケリー国務長官の時代、シリア政策とは何か、あるいはシリアに対してどうするべきかというシリア政策を持たずに、戦争か平和か、外交か軍事かという選択において、ロシアのようにためらいなく、自らの戦略的目標のために軍事を投入するわけではありませんでした。また外交として、何かレバレッジ(切り札)を持って展開したかというと、そういうことでもありませんでした。

 つまりアメリカは、伝統的な外交観と自らのプライドや存在感を恃む心が強いために、「シリア政策なしのシリア・ゲーム」に参加したわけです。しかし、地上において兵力を投入するわけでもなく、空においても海においてもロシアに対抗するわけではなく、何の重みもなかったのが、オバマ政権の末期でした。ジョン・ケリーという人は国務長官でしたが、その言葉やテクニックはただそれだけのことであり、ウラジーミル・プーチン氏による実際の兵器投入にかなうはずがなかったということです。

 もっと厳しく言うならば、ケリー長官は単にプーチン氏やセルゲイ・ラブロフ外務大臣の思...
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