●現代社会では「遠くが見える」必要は、あまりない
私たちはよく「目が良い」とか「目が悪い」という言い方をします。しかしこれは、日本語に特徴的な言い方です。例えば英語だと、「bad sight」や「poor vision」などという言い方をしますが、これは「視力が良い・悪い」のことであって、「目が良い・悪い」という話ではありません。
特に子どもの頃は、遠くが見えると「目が良い」、近視の人は「目が悪い」といわれます。この表現は日本語として根付いているのでしょうがないことですが、概念としては、誤解を生むような言い方です。
確かに大昔であれば、遠くが見えるかどうかは死活問題です。獲物を狩るときや隣の部族が攻めてきたときには、いち早くそれを見つけた方が勝ちだからです。そうした場合なら、遠くが見える方が良いので、それは「目が良い」ということになるでしょう。
しかし現代社会で、そんなに遠くばかり見ていることはありません。アフリカのサバンナに生きていれば、遠くが見えることは重要です。しかし現代社会、特に日本では、身の回りを見ていることが多い。統計によれば、大人は生活時間の3分の2は1~2メートル以内の「身の回り」を見ているといわれます。そういう状態では、遠くにピントが合っている状態は、かえって疲れる原因になります。むしろ軽い近視くらいの方が現代生活にはマッチしているのです。つまり、その方が疲れにくく現代に適合した目であるといえます。
●「過矯正」はトラブルの原因になる
近視の方は、眼鏡やコンタクトをすると思いますが、(今言った理由で)その度はあまり強すぎない方が良いのです。1.0や2.0の度数にすれば、確かに眼鏡をかけたときによく見えると感じます。しかし、日常生活では、そのくらいの視力だと非常に疲れてしまいます。少し控えめにする方が良いでしょう。具体的には、0.8~0.9くらいに合わせて日常生活を送った方が、目にはよほど楽なのです。
また、レーシックという手術がありますが、これが時々問題になる原因の一つは、「過矯正」です。手術によって近視が治り視力が2.0や1.5などになると嬉しいので、そういった手術をする人もいますが、その視力だと強すぎるのです。手術直後はよく見えて嬉しいと思うのですが、その視力でずっと過ごしていると、目が疲れてしまい、肩が凝ったり頭が痛くなったり、下手をすると吐き気を催したりするので、問題になることがあります。つまり、過矯正は良くないので、軽い近視を残す方が良いということです。
●目の「良さ」は、年齢によって変化する
そこで最初の「目が良い・悪い」という話に戻ります。確かに子どもの頃は、遠くが見える方が自慢になります。しかし、年を取って老眼になってくると、眼鏡がなくても近くが見えることの方が自慢になります。だから子どもと大人とでは、視力をめぐる事情はだいぶ変わってくるのです。
現代では、手元が見えることは非常に大切なことです。反対に、子どもの頃、遠くがよく見えるということは、遠視が含まれているということです。確かに遠視は遠くがよく見えますが、遠視の方が近くを見るときには目を緊張させなくてはなりません。そのため、実は疲れやすい。かつ遠視の人は老眼にもなりやすいのです。もちろん、みな老眼にはなりますが、老眼の症状が早く出やすいのは遠視の人なのです。子どもの頃「目が良かった」という自慢は、大人になっても同じで便利かというと、必ずしもそうではないということです。
●時々検査して、目の状態に合った眼鏡を用意すべき
私の知人はもともと近視で、近視用の眼鏡をずっと使っていました。その人が最近、「見づらい」と言うのです。仕事柄、コンピュータを使うことも多かったそうですが、どうも疲れやすいし、調子が悪い。そこでよく調べてみたら、昔は近視だったのに、なんと遠視になっていたということです。そういうこともあるのです。
目の屈折は、時間がたてば、さまざまな条件で変わります。そのため時々チェックをして、目の状態に合った眼鏡を作ることが大切です。昔は40歳から老眼が始まるといわれましたが、最近は寿命が伸びていることもあり、45~50歳くらいで老眼を自覚する人が多いと思います。もし老眼になったら、通常使っている眼鏡を見直した方が良いでしょう。