●関羽信仰を広げた「善書」とおみくじ
関羽の信仰内容について、お話ししたいと思います。三国時代の関羽は「関帝(「関聖帝君」)として信仰されていったわけです。具体的にはどんな内容を持っていて、どう広がっていったのかをお話しします。
関羽の信仰を広げていったのは「善書」と呼ばれるものです。それほど立派な本ではなく、信仰している人たちが自分のお金で作って関帝廟に置き、誰でも持ち帰ることができるという、小さなものです。
「善書」の代表は、『関聖帝君覚世真経(かんせいていくんかくせいしんきょう)』と呼ばれるものです。この中に書いてあるのは、「忠孝」と「節義」の強調です。
武人として三国志時代に激しく戦っていた関羽という印象ではありません。全てのものに対する能力を持ち、さらに君子に仕える「忠」や、親孝行、男女関係をきちんとしていく「節」、そして何よりも「義」を持つ全能神たる存在として、関羽が信仰されていることが分かります。
関羽の信仰を広げるのに大きな役割を果していくのが、「関帝霊籤(かんていれいせん)」と呼ばれるもので、「霊籤」は日本でいう「おみくじ」に当たります。日本でも、関帝のおみくじは引くことができます。横浜、長崎、神戸の関帝廟でおみくじが引けますし、横浜関帝廟はインターネットからも可能です。それらを見ていただくと、どういったものが出てくるのかが具体的に分かります。日本のおみくじとそれほど変わりがありません。
このおみくじがよく当たると評判が高く、清朝で最も優れた知識人と呼ばれた紀インも言及しています。彼は、乾隆帝の命令で『四庫全書』という中国全土の書物を集めた九億字に及ぶような本を編纂した人です。彼も関帝を信仰していましたが、「関羽のおみくじは、なぜこんなに当たるのだ」と不思議がっていました。
おみくじには、だいたい何でもうまく適合するようなことが書いてあります。関羽のおみくじで、ここに掲げたのは第1番の大当たりで、「大吉」と書いてあるものです。ここに書かれた漢詩の意味は、「科挙で第一番になる。富貴栄華を極めていく。仙人のように長生きできる」というものなので、これが当たったらどうしようと思われる内容です。
このようなものを引くために、列をなして並ぶほどの熱狂的な信仰がなされていました。中国の皇帝も、毎日夕方になると関羽を拝んだという記録が残っています。
●関帝の裁判を描く「馬孝廉」の話
関羽は、そのように超人的な、間違いを犯さない人間として描かれるだけではありません。面白いと思うのは、例えば小説の中で、関羽の裁判について書いてあるものです。
袁枚(えんばい)という人が書いた『子不語(しふご)』があります。「子」は孔子のことで、子が語らないのは「怪力乱神」であると『論語』に出てきます。つまり、『論語』はお化けや幽霊の話を決して載せないのですが、袁枚という文人は、そういうものを集めて『子不語』というかっこいいタイトルを付けているのです。その中のお話を紹介します。馬孝廉(ばこうれん)という人の話です。
『馬孝廉(科挙の予備試験に受かった人への尊称)で、まだ科挙には合格していなかったころ、西村の李家に間借りをしていた。隣の家の王某は凶暴な性質で、いつも妻を殴っていた。妻は飢えてどうしようもなく、李家の鳥の煮込みを盗んで食った。李家はこれを知り、王某の妻を訴えた。王某は酒をあおると大いに怒って、刀を引っさげ妻を引きずりやって来ると、事の真相を尋ね、妻を殺そうとした。妻は恐れて、「鳥を盗んだのは馬孝廉である」と言い張った。馬孝廉は、「濡れ衣である」と言ったが、証拠はない。そこで、村の関帝廟で占うことになった。三回占ったが、すべて馬孝廉が盗んだと出た。王某は刀を投げ出すと妻を放って帰り、馬孝廉は村人に冷たくされ、李家から追い出された。』
その後、馬孝廉は一所懸命勉強して、科挙に受かるわけですが、こう続きます。
『ある日、タンキー(日本でいう「イタコ」)が関帝を乗り移らせていた。馬孝廉は先の事件を忘れられなかったので、大いに神の裁きの違いを罵った。するとタンキーは、灰の上に字を書いて、「馬孝廉よ。なんじは将来、民の支配者となる。知事となって何を重んじ、何を緩やかにすればよいのかを知っておるか。なんじが鳥を盗んだところで、せいぜい間借りを失うに過ぎない。ところが、あの妻は鳥を盗んだことが知れれば、立ちどころに命が無くなるのだぞ。わたしは裁き違いの汚名をあえて受けて、人の命を救いたい。なんじは、それでもわたしを恨むか」と伝えた。馬孝廉は、関帝のお裁きに心から納得した。』
●中国人の心を打った「利他の義」
この話の中の関羽は、全然正しくないし、強くもない。その代わり、ものすごく人情味...