●関羽を「神」としたのは天台宗のお寺が始まり
続いて、関羽が神としてまつられていく過程をお話ししていきたいと思います。
関羽は、最初から神様として特別扱いを受けたのではなく、唐代に入ってからのことになります。天台宗は、天台智ギが始め、日本にも最澄によって入ってくる仏教ですが、その開祖智ギとも関わる玉泉寺というお寺が関羽終焉の地に近いため、最初に彼をまつります。これが、神として関羽がまつられた最初になります。
そこでも、関羽は主神とされたわけではありません。日本ではバラモン教の神様が、「○○天(毘沙門天など)」として扱われますが、それに似た守護神としての扱いです。最初は、玉泉寺という寺を守る武力の神様という形で、関羽への祭祀が始まっていきます。
●国家の守護神として「王号」を受ける関羽
関羽が本格的にまつられるのは、宋の時代からです。日宋貿易などで、平清盛が貿易相手とした王朝ですが、宋は中国の歴史上最弱といわれる王朝で、戦いがあると熱心に神にすがりました。宋の皇帝は、国家を守ってもらうため、関羽に称号を与えたのです。
北宋最後の皇帝となった徽宗(きそう)は、文人皇帝として有名で、日本にも彼の描いた作品が入り、国宝に指定されています。この皇帝が、関羽を「忠恵公」と呼び、さらに「武安王」や「義勇武安王」と、王としての称号を次々に与えていきます。北宋が滅んだ後、南に移って南宋という国家を始めた高宗は、「壮繆義勇王(そうぼくぎゆうおう)」の名を与えました。関羽を神として扱っているわけです。
ただ、南宋の高宗は諸葛亮にも「威烈武霊仁済王(いれつぶれいじんさいおう)」という名で、神としての称号を送っています。神としての称号は、長ければ長いほど偉い。関羽は「王」の前に称号として4つ、諸葛亮は6つ漢字が付いていることでお分かりだと思いますが、まだまだ諸葛亮の方が格上でした。宋の時代、国家にまつられたといっても、関羽の地位はまだまだ高くはなかったということです。
●塩を商う山西商人の発展の拠り所として
関羽の地位がより高くなるのは、元の時代からです。元すなわちモンゴルが支配したときの中国は、国家収入の2分の1を塩が占めていました。元王朝は中国支配をどちらかといえば大ざっぱに行ったのですが、その支配は塩に大きな税金をかける「塩税」を中心に行いました。...