●企業としての新陳代謝はもう30年ぐらい止まっている
―― 関西の財界を中心に存在した個性的な企業が今では少なくなっているようですが、それはなぜなのでしょうか。
真山 創業者が成功して、そのまま今も続いている企業の数がすごく少ないのがひとつの理由でしょう。昔の創業者は成功すると、次は世の中の役に立たなければならない、と思うぐらいの心意気を持った人がたくさんいたと思います。今はそうした経営者が本当に少なくなりました。
商社でもそうですが、関西には創業者が個性的な会社が多かったのです。いわゆる三井や三菱のような、当時財閥になっていった商社にしても、創業者が頑張り、他がやらないことをやって成功してきました。家電企業などはほとんどそうでした。創業者がものづくりに成功して会社を成長させるという文化がこの国からなくなってしまったというのが、アップルやグーグルを生んだアメリカとの最大の違いです。
すごく象徴的なのは、例えばアメリカは国を代表するような会社でも、「駄目なら潰してもいい」ということで大企業を整理することもあるところです。それが企業としての新陳代謝なのですが、日本ではそういうことがなくなってしまったのです。
今は会社を守れる人しか経営者になれません。それは日本の企業が官僚化していっているということで、成長より安定を求めているということなのでしょう。日本の企業がこれ以上成長するのは難しいと思います。逆にいうと、企業としての新陳代謝はもう30年ぐらい止まっているということです。
●グローバルスタンダードを曲解し、日本なりの経営手法を見失った
真山 もう1つの要因は、バブルがはじけた後、外資系の発想からグローバルスタンダードを取り入れ、4半期ごとに結果を出さなければならなくなったことです。
そこでは「ステークホルダー」という言葉が投資家のことだと曲解されました。本来は消費者や従業員を含め、会社と社会的に関わるいろいろな人のことをステークホルダーと呼ぶのに、日本では投資家だけだと思われているのです。そして投資家は、投資に値するだけの株価を維持できなければ駄目な社長だと判断します。ところが、例えばサービス業などは、1カ月ごとに売り上げや利益が変動します。出版であれば、良い本を出せば売れますが、サービス業はそうではありません。他にもプロジェクトに3年も5年もかかるような製薬や、重電、家電、自動車など、4半期ごとに利益を見てもしょうがない分野も、本来はあるのです。
しかし、4半期ごとに利益を出さないと投資家に「世界水準ではアウトだ」といわれるような文化ができてしまいました。それによって、「この株価を維持しなきゃいけない」ということで、成長よりも安定が大事だと見なされるようになっているのです。東芝問題などの本質は根本的にはそこにあると思います。ものづくりの英雄がものづくりを忘れて、株価の維持に走ってしまったことによって、結果的に取り返しの付かないことになってしまった。生き残るために、自分たちの最後の切り札である半導体事業ですら売ろうとしている。そうやって生き残って何をするのだろうか、ということです。
だから、日本には日本なりの経営のやり方、日本なりのビジネスがあることを認めるのが重要です。「4半期ごとになぜ結果を出さないといけないのか。うちは10年単位で良いのだ」と言ってしまえるくらいの心意気のある経営者がいないのです。
全ての面において、アメリカやヨーロッパのルールで動かされているため、日本が勝てないような仕組みになっているのではないでしょうか。一方で、もし少しでも日本が勝てるようになったりすると、アメリカにとって有利となるようにルールがどんどんと変えられていくということです。このような状況は、経済界がバブル崩壊以降、ある意味でGHQの統治下に戻ってしまったともいえるようなことですが、あまり皆問題にしません。この部分は、もっと問題にしなければならないと思うのです。
●日本の企業は場当たり的で、哲学がないまま生き残ってしまった
―― ベルリンの壁崩壊前後、アメリカやヨーロッパがつくったルールを押し返す根性がある人たちが、日本からいなくなってしまったということでしょうか。
真山 おっしゃる通りで、ハングリーな時代を生き抜いて成功した人たちのパワーはすごく強力で、彼らのイズムも非常に価値があると思います。ただ、時代とともに社会も変化していく中、古いものを一度スクラップにすること自体は、悪いことではありません。いけないのはそれを全て否定してしまうことで、よかったことは評価し、だけど「ここは時代からずれているのではないか」と客観的に判断すべきでしょう。
そうしたことが上手くできていない状況をみるにつけ、日本の企業には...