●準備が不足しすぎている国民投票
国民投票の話をします。何の国民投票かというと、憲法改正についての国民投票です。しかもサブタイトルに「準備不足の国民投票」とつけています。
なぜそういうことを言うのかといえば、安倍首相は憲法改正をしたい。2020年までに憲法改正をできるならばしたい。現実的にはできるかどうか分かりませんけれども。
日本の政治を見てみると、衆参で三分の二を持っている自公政権に維新(日本維新の会)と希望(希望の党)を足せば、国会での三分の二は可能です。しかしながら、最大の関門は国民投票なのです。ところが、その国民投票の準備がとても不足している、というのが私の感想です。この準備不足で憲法改正などできるのだろうかと。
野党系の人にとっては、憲法審査会ですら動いていないのだから、これは憲法改正に行くことはないだろう、だから国民投票の準備も必要ない、という意見もあるかもしれません。逆にいえば、自民党は準備しなければいけないわけですが、そこが非常におろそかである、ということを、今日のテーマとして申し上げます。
●国民投票は制御不能な「猛獣」である
国民投票はこわいものです。これは、憲法審査会あるいは憲法についてずっと長く指導的な立場にあった中山太郎氏が言ったと言われる言葉ですが、「国民投票というものは猛獣だ。猛獣使いはまだ現れていない」と。伝聞ですので本人がそうおっしゃったのかどうかは分かりませんが、大変こわいということは確かです。なぜか。
イギリスのEU離脱は、国民投票で決まったわけです。あれだけ長い歴史のイギリスが、しかも議会主権の国であるイギリスが、国民投票をし、EUを離脱し、現在四苦八苦しています。そういう状態を見ると、国民投票はこわいということは分かると思います。
イタリアは憲法改正を国民投票にかけました。レンツィ政権が国民投票にかけたのはいいのです。そこで対象となる項目は、二院制を取っているイタリアの二院の関係、それと中央政府と地方政府の関係を整理する、という非常に真っ当な改革案でした。それは国会を通りました。ですが、国民投票で議論がどこに行ったのかというと、「政権を信任するかどうか」という方に行ってしまったわけです。
「国民投票はいいものだ」と、参加民主主義論者はずっと言い続けてきたわけですが、現在それに対してかな...