●虚偽の主張を繰り返す離脱派のキャンペーン
(イギリスでは、)2015年の選挙は保守党が危ないといわれていたのにもかかわらず、大勝したのです。その結果、単独で政権が担えるということで、約束した国民投票を、2017年ではなく16年の6月に前倒しをして行ったということです。
デーヴィッド・キャメロン氏は、ボリス・ジョンソンというロンドン市長を、自分の盟友と思っていました。後継者はボリスにしようかと思って、口にも出していたのですが、このジョンソン氏がキャメロン首相とたもとを分かち、離脱派の先導者になりました。それから、キャメロン氏が盟友として尊敬していたマイケル・ゴーヴ氏(当時司法大臣)も離脱派に入りました。つまり、キャメロン氏は右左から殴られた感じですね。
キャメロン氏はEU当局と非常に交渉をしまして、イギリスの要望をできるだけEU側に伝えて、ある程度の理解と譲歩を得たので、残留は国益になるという信念を固めて残留キャンペーンをずっと続けたのです。その時、キャメロン氏が行ったのは、離脱をするとどれだけ損になるか、残留するとどれだけ得になるかを、非常に分厚いブックレットを作って国民に配布したことです。「理解してください」と訴えたけれども、国民はほとんど読まなかったようですね。
一方、離脱派はどうかというと、ジョンソン氏やゴーヴ氏は、こういうことを言いました。「離脱さえすれば、外国人労働者の脅威がなくなるよ」と。それから、「EUにいろいろなものを払っているけれど、その負担が減るんだよ」と、情緒的に訴えました。赤いバスを仕立てて全国を遊説し、EUから出れば、毎週3億5000万ポンドがブリュッセルから返ってくるので、そのお金を医療の充実に充てると主張しました。皆、大拍手です。
ところが、国民投票の結果、実際離脱するということになったらどうなったかというと、実はイギリスはEUに未払い金があったのです。膨大な額です。結局、お金が戻るどころか、たくさん払わなくてはいけません。うそをついていたのです。一体イギリスの政治はどうなってしまったという感じですよね。
離脱派が国民投票で勝利をした後、なんと、離脱派の急先鋒だったファラージという独立党の党首が雲隠れしました。ジョンソン氏は、「国民投票は俺の責任じゃない」と言いました。それから、清算支払い義務というものが発生して、離脱するととてもお金がかかることが分かってきたので、離脱派にだまされたというわけです。こんなことになるなら投票にいけば良かったのに、BREXIT(ブレグジット)ではなくてブレグレットだと。つまり、リグレット(後悔)という言葉も聞かれたわけです。
この世界的な歴史的大ドラマで、登場人物の中にこのような人たちが活躍していることを、われわれは理解しておいた方がいいと思います。
●メイ首相の経歴とキャラクター
国民投票の結果は僅差ですが離脱派が勝ったので、残留を主張していたキャメロン氏は辞任をして、その後にテリーザ・メイという首相が就任したわけです。彼女は、2017年の3月に正式にBREXITを宣言して、EU当局にその意思を通知しました。
ここで、皆さんと一緒に、なぜメイ首相になったのか、そして、メイ首相は一体どういう人物なのか、少し振り返っておきたいと思います。
保守党の党首選は2段階です。まず、下院議員が選挙をします。そして、一般党員は現在12万人ほどいるといわれていますが、彼らが選挙をするという2段階で行われます。そして、今回は離脱運動を指導したボリス・ジョンソン氏が当然首相、選挙の最有力といわれていたのですが、彼に対して世間では、信じていたキャメロン氏を裏切ったというのが非常にマイナスな印象となって、その反感もあり、ジョンソン氏は出馬を回避しました。
すると、ジョンソン氏の後ろ盾的な存在で黒幕といわれていたマイケル・ゴーヴ氏がこう言ったのです。「ジョンソンには離脱問題を仕切る指導力がない。私が党首選に出馬する」と。これは、キャメロン首相がジョンソン氏に裏切られて、今度はある意味、ジョンソン氏がゴーヴ氏に刺されるという、シェイクスピアの悲喜劇の展開のようですね。
そこでメイ氏が出てきたのですが、彼女はエリート出身ではありません。牧師さんの一人娘ですが、お父さんの影響で子どもの頃から政治家になりたかったようです。オックスフォード大学のセント・ヒューズ・カレッジに進学して、イングランド銀行を経て、決済サービス協会に勤務し、ロンドンの保守党の区会議員になりました。いろいろ苦労をして、3度目の挑戦で下院議員になったのです。
キャメロン政権が2010年に誕生すると、彼女は内務大臣に任命されました。内務大臣というのは、首相・財務大臣・外務大臣と並んで、国家の四大要職といいます。これを6年間勤...