●友人シャニュからデカルトへの「秘密の衝動」をめぐる問いかけ
17世紀フランスの哲学者デカルトにはいろいろな職業の友人がいました。科学者であったり、同業の哲学者であったり、僧侶であったり、その中には政治家、外交官もいました。外交官の友人の一人、シャニュは1647年5月11日に友人のデカルトにこんな質問を手紙で寄せています。
「あの人ではなくこの人に友愛の念を感じるとします。しかも、その人の長所をまだ知らないのに友愛の念を感じるとしたら、そのように私たちを仕向ける秘密の衝動があるはずですが、それが一体なんなのか、私には判然としません。」
この人には、こんなポジティブな長所がある、こんないいところがあるから、私はその人が好きだ、これはよく分かる話です。ただ、まだよく分からない段階でも、なんとなくその人がいいなと思うことは結構あると思います。
視聴者の皆さんにも、思い当たることはあると思うのですが、デカルトの友人のシャニュも当然のごとくそのことを疑問に思ったらしいのです。デカルトは何とか頑張って答えようとしているのですが、今回はその答え方を見ていきたいと思います。
シャニュが問題にしている秘密の衝動について、なぜか分からないけれども、或る人に惹かれるとき、デカルトに言わせると、そこには身体レベルでのメカニズムが働いていると言います。例えば、私が或る人のことを「いいな」と思ったとき、この私の身体に或る変化が生じているということです。
どういうことか。或る人に初めて出会ったとします。強く印象づけられるとします。そうすると、私の脳の中にその印象がいつまでも残っていって、その後も似たような人に会うと、積極的にその人に対して好意を抱くようになる。デカルトは、このシャニュの問いかけであった秘密の衝動についてこのように答えています。
自分が実際そうだったとデカルトは言います。彼は子どもの頃、同じくらいの年齢で少し斜視の女の子が好きだったそうです。斜視というのは、片方の目がちょっと外に向いていたり、内側に向いていたり、傾いているという身体的な特徴をもった人のことを言いますが、彼は若い頃、そういうタイプの人物に強く印象づけられて、その後もそのように斜視、ないし斜視気味の女性のことが好きだったというのです。
皆さんにもそうしたことはあると思います。自分は長い髪の女性が好きだとか、筋肉質の男性が好きだなど、好みやタイプはあるでしょう。こうした好みがつくられるうえで、確かにデカルトが言うように、身体の役割、中でも外的感覚、とりわけ視覚の働きは非常に重要です。見た目ということです。或る人の身体的特徴を目で捉えて「いいな」と思ったら、同じような身体的特徴をもった人に、次は別の人だとしても、やはり好意を抱いてしまうということです。
●精神レベルの変化によって人の好みは変化する
しかし、自分の好みは変化します。絶対ではありません。長い髪の女性が好きだったのだが、なぜか短い髪の女性に心惹かれるようになったとか、筋肉質の男性が好きだったのだけど、それほど筋肉隆々でない男性のほうが好みになったなど、私たちも生きていれば、そのように好みは変化します。
デカルトもそうだったとシャニュに言っています。1647年の6月の手紙の中でそう言っているのですが、シャニュの問いかけが5月だったから、翌月です。こう答えています。
文字通り読みます。「斜視は一つの欠点であることを理解してからは、それに心を動かされることはなくなりました。」
つまり、自分の好みが変わったと告白しているわけです。
デカルトの文章を読むと、まず斜視を「欠点」と表現しているのは、私は個人的に違和感があります。身体的な何らかの障碍は欠点と本当に言えるのかどうか。それは一つの個性ではあるけれども、「欠点」という価値づけはしにくいのではないか。ただ、これは今日、私が皆さんにお話ししたい事柄の本筋に関わってこない論点ですので、この程度にして、もう一つ、別の大変重要な論点のほうに移りたいと思います。
●心理学における「条件づけ」のメカニズムへの着目
デカルトは自分の好みが変わったと言うときに、最初は身体レベルでの変化が起きたと言っていたわけです。斜視の女性に会ったら強く印象づけられて、脳にその印象が強く残っていると。でも、理解が変わるとも言っていました。斜視についての自分の理解が変わると、好みが変わった、つまり精神レベルの変化についてデカルトは言及しているわけです。
ようするに、身体レベルが原因でつくられた自分の好みは、実は精神レベルでの変化が起きれば変わる、とデカルトは言...
(デカルト著、谷川多佳子訳、岩波書店)