●埴原和郎氏の『日本人の成り立ち』と二重構造モデル
それでは、私が影響を受けた書籍ということで、簡単にお話をします。
まずはヤポネシア人、日本列島人の成り立ちを考える上では、1995年に発表された埴原和郎さんの『日本人の成り立ち』(人文書院)が、やはり重要です。二重構造モデルを日本語できちっと書いているものです。今から、1995年ですので、もう20年以上前に書かれたものですが、非常に多岐にわたっており、その当時の最先端のことが書いてあります。
われわれはこれをある意味で出発点、あるいは定説として、三重構造とかいろいろなモデルを今提唱しているわけです。
●縄文のミトコンドリア研究書『DNAで語る日本人起源論』
それから、2018年度からヤポネシアゲノムということで文部科学省から予算をいただいて、30~40人ぐらいのグループで研究をしているところです。私は現代人ゲノム、例えば出雲人など日本中のいろんな人たちを調べるというグループの代表で、国立科学博物館の篠田謙一さんのグループは強力な古代人ゲノムのチームで、私の元弟子である神澤秀明さんがチームに加わっています。
その篠田さんは、20年以上前から主に縄文人のミトコンドリアDNAをずっと調べてきました。それをまとめたものがこの『DNAで語る日本人起源論』で、2015年に岩波書店から出たものです。ただ、ミトコンドリア中心ではありますが、最後の方のページでは彼らが採ってきたDNAを神澤さんが分析した結果なども紹介されています。ただ、基本的には篠田さんの長年のミトコンドリアDNAの研究成果です。
●弥生時代の時期を修正した『<新>弥生時代』
次に紹介するのは、この5年間のヤポネシアゲノム研究における、考古学の代表を務めている藤尾慎一郎さんです。彼は千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館の教授です。ちなみに、篠田さんは国立科学博物館、私は国立遺伝学研究所ということで、いずれも国立が付きます。
この『<新>弥生時代』ですが、新に括弧がついています。これは、彼がいる歴史民俗博物館でだいたい15年以上前に、弥生時代は(今いわれている時期よりも)500年以上前からあったという、考古学の人にとっては衝撃的な成果を出しました。これは、われわれ自然科学の人間にとっては、ある意味では当たり前のことですが、「炭素14法」という方法を使って、自然科学的な解析をしたということです。
ただ、私自身、学生時代から弥生時代は短すぎると思っていたのです。2500年前に北九州に水田稲作が伝来してきます。そしてあっという間に日本列島に稲作が広まって、その500年後には『漢書地理志』に百余国からなる倭国という国ができているとあります。500年で国ができるのかと思っていました。
そして、その200~300年後には卑弥呼が出てきて、西日本が統一されつつあるような勢いだったわけです。ところが、500年古くなると、『漢書地理志』に書かれていた「倭国が百余国」というところまで1000年あります。1000年あれば、十分そのような政治体制を獲得することができたのではないか、と考えました。
そういうこともあり、若い頃からの私の疑問に、ある意味で答えてくれたということで、ヤポネシアゲノムの研究においては、500年さかのぼった弥生時代論を前提として話を進めています。
●縄文とアイヌの連続性を論じた『アイヌと縄文』
それから最後は、グループのメンバーではないのですが、やはり考古学者で、瀬川拓郎さんによる本です。特に北の方、つまりアイヌの人々と縄文の人々との共通性を、非常にコンパクトにまとめられた『アイヌと縄文: もうひとつの日本の歴史』です。ちくま新書から出ており、これも比較的最近に出た本です。
われわれはもうすぐ出す論文で、まさに今北海道に住んでいるアイヌの人々の中に、3000年前の縄文人のDNAが半分以上伝わっているという結果を発表しますが、考古学的な証拠からも、北海道では縄文時代、続縄文時代、そして擦文時代と、アイヌ文化と連続性があると明確に示しています。考古学的にもDNA的にも、今の北海道のアイヌの人たちが、まさに縄文人の人たちのDNAを一番色濃く残している人々であり、文化的にもそうであるということです。したがって、言語の問題は難しいのですが、アイヌ語に関しましても、縄文時代の唯一の生き残りではないかと、言語学者が言うことはあります。
ただ、今私が話している日本語も、ひょっとすると弥生時代に稲作を持ち込んだ人々が日本語の祖先語をもたらした可能性はありますが、もっと古いのではないかという期待も私は持っています。これに関しては、ヤポネシアゲノム研究のもう1つのグループである、青山学院大学の遠藤光暁教授、それから琉球の方言を専門とされる木部暢子教授たちを中心とした言語学の班も...