●九州、近畿、関東という中央軸と、それ以外の周辺
ということで、そんなわずかなデータだけからなのですが、わずかといってもゲノムデータですので、しっかりとした基盤があります。したがって、これまでの定説である二重構造モデルは、図にいうと旧石器時代から縄文時代の、いわゆる縄文という言葉でシンボリックにいわれる人々の渡来の波である第1段階と、弥生という言葉でいわれる弥生時代以降、つまりだいたい3000年ほど前に、大陸から水田稲作が導入されて、日本列島に広がっていった第3段階です。この大きく縄文と弥生で説明してきたものでは不十分であるということで、第2段階を仮定したわけです。
そして、第2段階と第3段階の組み合わせによって、内なる二重構造ができたのではないかということです。簡単にいいますと、地理的には北部は樺太、千島列島、北海道、南部は南西諸島のことです。中央部は青森から鹿児島までで、大きな楕円で示しました。現在ではこの中央の中に、内なる二重構造があるということを提唱したわけです。すなわち、出雲と東北は近いということです。
そのことを示したのが上の図です。地理的にどのようになるかというと、1つの考えとしては、まず弥生時代の最初の頃は、九州に政治・文化・経済の中心がありましたので、たくさんの遺跡があります。その後、それが近畿地方に移り、大和朝廷が勃興し、前方後円墳ができてきて古墳時代、飛鳥時代、そして奈良時代になります。その後、平安京にシフトしていくのですが、図ではほんのちょっと北にいくだけで平安時代です。それから、一部、鎌倉時代もありますが、大部分は江戸時代になるまで、京都が都でしたので、私はその間を平安京時代と名付けていますが、徳川幕府以降、現在まで江戸東京時代ということで、この日本の政治的・経済的な中心を結んだところを、中央軸と考えます。
当たり前だと思うのですが、これにふさわしい地理的名称を私は聞いたことがありません。もしご存じでしたら教えてください。私が子どもの頃には、「太平洋ベルト地帯」という言葉がありました。しかし、太平洋ですから、本当だったら太平洋というのは太平洋側ですので、ちょっとそぐわないわけです。この図では瀬戸内を経由しています。そして、近畿が中央で、後はその周辺です。すなわち、同じ中国地方でも山陰は周辺ですし、北陸、東北全て周辺で、九州でも、南九州は周辺です。四国もおそらく土佐、あるいは近畿も和歌山などは周辺ではないか、という仮説を立てたわけです。
2017年に出した本ではもっと簡単に、経済活動の中心は結局、新幹線が結んでいるということで、他にも新幹線はありますが大動脈である東海道新幹線と山陽新幹線で博多から東京を結ぶ線を中央軸、その他は周辺としてあります。四国も全て周辺ということにしてありますが、その辺りは今のところ何ともいえません。
ということで、瀬戸内は重要ですので、これから詰めていこうと思っています。つまり、どうも中央軸と周辺という、内なる二重構造があるのではないかということで、今後日本中のいろいろな地域の人々のDNAの提供をいただいて、調べていこうと考えているのです。
●日本列島へのルートよりも、遺伝的な系統の方が重要
そして、時代的に2万年さかのぼると、先ほどからお話ししているように、樺太、北海道は大陸とつながった巨大な半島でした。津軽海峡はかなり深いのでつながっていなかったようですけれども、対馬海峡はほとんどつながっているように見えます。図の下の方には沖縄があります。
何がいいたかったかというと、縄文時代の最初の頃、あるいは旧石器時代は、むしろ大陸との行き来が簡単だったということです。人々はどこからでも来ました。
ですから、北から来た、南から来たといろいろ喧々諤々の議論はありますが、あんまり関係ないのではないでしょうか。図を見れば分かるように、どちらからでも行けますから、北、南というよりは、もっと系統的なことが大事だろうと私は考えています。そして、縄文時代から弥生時代になって、むしろ海水面が高くなって、行き来がしにくくなりました。しかし再び、航海術の発達によって、歴史時代にはどんどん渡来人が押し寄せています。
現代でも海外から人が来ています。国際結婚の割合は、今の全結婚の5パーセントに達する割合です。20組の結婚に1組は国際結婚ということです。もちろん現在ではヨーロッパからも、あるいはアフリカからも、あるいはカリブ海から、いろいろな所からの人々のDNAが集まっていますけれども、いわゆる渡来というものは...