テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

縄文人から現代日本人にDNAが伝わっている割合は12%

核DNAからさぐる日本のルーツ(9)縄文人の起源

斎藤成也
国立遺伝学研究所教授
情報・テキスト
旧石器時代と縄文時代は、人間のDNAとしては連続しているということが、最新の研究で分かってきた。研究は現在も進行中だが、どういうことなのか。今回は、系統樹を用いて、ヤポネシア人の集団の関係と、縄文人の起源を検討する。(全11話中第9話)
時間:09:23
収録日:2018/09/26
追加日:2019/04/12
タグ:
キーワード:
≪全文≫

●系統樹においても、アイヌ人が縄文人に最も近い


 この図を見ると、縄文人から見て一番近いのはアイヌ人、その次はオキナワ人、ヤマト人、そして北部中国人ということが簡単に分かります。これは、主成分分析の結果から推定されるのと同じことです。つまり、同じデータですから、違う手法を使っても同じ結果になるということです。

 上の系統樹は、神澤秀明さんの博士論文によるものです。神澤さんは私の研究室で博士号を取り、現在、国立科学博物館の研究員をされています。中には論文になっていないものもありますが、彼は実際にいろいろな解析をしています。そこで、彼の博士論文によるこの図を見ると、現在のアイヌ人と縄文人は集団として近い。また、先ほどからアイヌ人とオキナワ人のことが頻繁に出てきましたが、縄文人は明らかにオキナワ人よりアイヌ人に近く、一方、オキナワ人はヤマト人の方に近い。ということが分かる系統樹になります。
これは、骨から見た系統樹とそっくりです。

 上の図は、オキナワ人は入っていないのですが、骨から見た系統樹です。私の名前も入っていますが、これは骨の研究で、東北大学医学部の教授をされていた百々(どど)幸雄先生、現在、琉球大学医学部の教授をしている石田肇先生たちとの共同研究によるものです。骨を調べると、アイヌ人と縄文人は非常に共通性があります。図の上部の長い線で示されていますが、共通性に関してはその上部と下部では大きく違います。また、Jといろいろ書いてありますが、Japaneseのことです。つまり、古墳時代の人、室町時代の人、弥生時代の人、江戸時代の人、現代の日本人、つまり日本列島人(ヤポネシア人)は皆、よく似ているということです。ところが、縄文人とは大きな違いがあります。なぜこんなに違うかというと、二重構造モデルで考えると、東ユーラシア大陸の人たちがたくさん来たということになるからで、骨からの結果と、先ほど挙げたDNAの結果が対応しているのです。


●核DNAによって縄文人が非常に古いことが判明した


 ところが、縄文人の核DNAのデータから、今まであまりきちっと言われていなかった新しいことがバシッと出しました。それは、系統的に非常に古いということです。これも、そうではないかということが以前からよくいわれていたのですが、乏しい遺伝子の結果から「縄文人とはシベリアの人ではないのか」という説もありました。実は尾本惠市さん・と私・斎藤の論文でもそういう議論があります。私は解析中心だったので、本当かなあと思っていたのですが、当時はデータが少ないのでよく分からなかったのです。

 ところがこのように、膨大なゲノムのデータが出てきますと、一応福島県の三貫地貝塚の縄文人で代表させていますが、縄文人として分かれた時期は非常に古いということが分かってきました。どのぐらい古いかといいますと、ざっくりいって最低でも2万年前、もっと古い場合、4万年ぐらい前かもしれません。そうしますと、先ほど、日本列島(ヤポネシア)に最初に人がやってきたのはだいたい4万年前と申しました。これは、石器の情報からまず間違いありません。それより古いねつ造旧石器の話もありましたが、今のところはだいたい4万年前です。その情報とだいたい合ってくるわけです。

 では、なぜ合ってくるのでしょうか。CDXなどいろいろな英語で書いてありますが、この5つの集団は今の東ユーラシア人です。5つの集団はぞれぞれ、少数民族のダイ(CDX)、ベトナム人(KHV)、中国南部の人々(CHS)、北京の人(CHB)、それから東京の日本人(JPT)、つまりヤマト人で、よく似ています。そして、その外側に南米の先住民がいます。これは、現在でもブラジルに住んでいるカリティアナという人々のゲノム、DNAデータによるものですが、その人たちの方がわれわれに近いのです。考古学では、南米、北米に渡ったのはベーリンジアからだいたい1万5000年前、あるいは2万年ぐらい前という推定がありますので、そうすると、それを使えば縄文人の系統はもっと古いということになります。

 ただ、もっと古い系統としては、パプアニューギニアに行った人々です。これはだいたい5万年ぐらい前と考えていますが、2万年前から5万年前までの間は日本列島に旧石器時代の人々が渡ってきた頃ではないかと思います。そうすると、日本では縄文時代、旧石器時代と分けますけれども、人間、あるいはDNAとしては共通、連続性があったのではないかと、われわれはもちろん、多くの考古学者、人類学者はそう考えていると思います。

 縄文土器はあくまでも新しい技術で、技術が新しくなっ...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。