●ヤポネシアの提唱者、島尾敏雄の人生
ではいよいよ日本列島人、われわれの言葉でいうとヤポネシア人のゲノムについて、お話をしていきます。なお、スライドはないですが、ヤポネシアとは、1960年代に、すでにお亡くなりになられた作家の島尾敏雄さんが提唱された名前です。ヤポとはジャパン、つまり英語で日本ですが、そのラテン語読みだそうです。ネシアとは、ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアというように、これもラテン語で島々を表します。したがって、ラテン語のその2つを組み合わせ、日本列島を「ヤポネシア」と呼ぶということです。
もう1つ大事なことですが、島尾敏雄さんは20年間、奄美大島に住んでらっしゃいました。その後、東京に戻られたと聞いています。また、奥さまは奄美大島出身です。たまたまこの収録が2018年で、NHKの大河ドラマは『西郷どん』です。西郷どんも、短いですが3年間ほど奄美大島に流されて、そこで愛加那と結婚し、子どももできました。そのご子孫が今でもいらっしゃるそうですが、島尾さんは20年間、奄美大島にいたのだから、きっと西郷と自分を重ねていたのではないかと、私は前から思っていました。
●ヤポネシアは千島列島、樺太から与那国島までを指す
そういうことでヤポネシアですが、どこがヤポネシアでしょうか。今、日本という国は1945年以降の領域で、ごく最近のことです。しかも、いまだに北方四島のことでもめていますし、幾つかの小さな島のことももめています。ですから、もう少し広げて、われわれの祖先がどこに住んでいたかを考えて定義してみました。
北からいきますと、まず千島列島、樺太、そして北海道です。ここには「アイヌ」と呼ばれる人々がずっと長く住んでいまして、千島アイヌ、樺太アイヌ、そして北海道アイヌと、大きく3つに分かれています。ただ、実際には本州の、特に東北地方には、アイヌ系の人たちが住んでいた痕跡が、地名に残っています。そういうことで、もっと広いのですが、一応そこを全部入れます。ですから、現在は千島も樺太も全てロシア領ですが、そんなことはお構いなく、ヤポネシアに入れます。
それから、本州、四国、九州です。そして、さらに南西諸島です。県の行政区画ですと、先ほどお話ししました奄美大島は、島津の軍勢が琉球王国を占領して、しかもその領地だった奄美大島を直轄領にしましたので、現在も奄美大島の領域は鹿児島県です。文化的には、言語も明らかに琉球語の一部ですし、明確に南西諸島の一部です。
●台湾はヤポネシアには入らない
そして面白いことに、今の台湾はヤポネシアには入りません。与那国島までです。なぜ台湾の人々が与那国の方に行かなかったのか。逆にそちらの方に行ったという説もありますが、それはもっと大昔であり、今私が言っているのは、台湾を出発点として、ずっと先のポリネシアです。
地図を戻しますが、このように広くハワイ、それからモアイのあるイースター島も行きました。それからマオリ族が行ったニュージーランド、フィジー、そしてマダガスカル。このように広範囲に広がっていった人々ですが、実は台湾を出発点としています。
ところが、なぜか台湾からは北には行きませんでした。これがまた大きな謎なのですが、そういうことがあります。いずれにしても、ヤポネシアの定義としては、与那国島が一番南西です。そして、千島列島ではカムチャッカ半島の先端ぐらいまでをヤポネシアと考えます。
●ヤポネシアへの渡来ルート、その6つの可能性
そして、このように北から南に長いヤポネシアですから、いろいろなところからいろいろな時代に人々がやってきた可能性が高いのです。一番目として最も可能性が高いのは、ほとんど陸続きだった朝鮮半島からです。ほとんどというのは、氷河時代にはつながっていたと思われていたからです。しかし、最近の地質学の調査によりますと、少し短い海峡があったらしいのです。でも、もうすぐ目の前に日本列島の九州が迫っていますから、簡単に行けただろうということです。
それから、間宮海峡(タタール海峡)は、樺太とユーラシアを規定するところです。ここも非常に狭く、しかも氷河時代にはつながっていました。樺太だけではなく、北海道もつながっており、北海道から樺太が巨大な半島になっていました。ですから、ここも人が行き来しやすく、これが2番目です。それから先ほどの千島列島です。カムチャッカ半島から南下していく流れが3番目です。
そして次に、最初の民俗学者である柳田國男という人が、亡くなる前に提唱した「海上の道」です。すなわち台湾から沖縄を通って、そして九州へ、稲作が伝...