●ヤポネシア人は他の大陸の人々と異なる
さて、東ユーラシア人の遺伝的関係について、さらにいろいろな人たちを比べますと上の図になります。この結果を最初に見た時は驚きました。これは、いかにわれわれヤポネシア人が、他の大陸の人々と違うのか、明瞭に表している図だからです。これも主成分分析ですが、東アジアから東南アジアの大部分の人たちは、楕円の中に入ります。
ところが少しずれて、右に朝鮮半島の人々(韓国人)、ヤマト人、オキナワ人、そしてアイヌ人ということで、全体として線のように延びています。この向こうには当然、縄文人がいます。現代人を調べた結果ですが、今までのいろいろな人類学の研究成果から、縄文人との混血の程度として(アイヌ人は)高い、(オキナワ人は)中ぐらい、(ヤマト人は)低い、(韓国人は)ほとんどゼロ、(その他の東アジア人は)全くゼロ、ということを表していると間違いなく解釈できます。
一方、図の左上の方に離れているのはウイグル人です。ウイグル人に関しては、私も一度、新疆ウイグルのカシュガル市を訪問したことがありますが、彼らの顔付きは一般の東アジアの人とはかなり違います。いわゆるヨーロッパ的な顔付きをしています。そういうことで、遺伝的にも図のように離れています。それから、その右下はシベリアのヤクート人ですが、ウイグル人とはまた違って、最近になって歴史的にロシア人との混血があるということが知られるようになりましたが、こちらも離れています。したがって、ウイグル人とヤクート人は縄文人と全く違う西ユーラシア人との混血ということで、このように離れているといわれます。
かつて、アイヌ人の顔付きがヨーロッパ的な顔付きをしているということで、アイヌ白人説もありましたけれども、この図から見てもお分かりのように、それは全く否定してもいいと思います。
では、なぜアイヌの人たちがあのような特殊な顔付きをしていたのでしょうか。特に100年前の人の写真を見ると、非常に驚きます。これは、縄文人が非常に特殊な顔付きの人たちで、その縄文人のDNAを一番色濃く受け継いでいるアイヌの人たちにそうした顔付きが残っていると考えればいいかと思います。
●現在のヤマト人には2割弱しか縄文人の血が流れていない
さて、今度は再び集団の間の関係をもう少し詳しく調べていきます。先ほどお見せしたような系統樹を仮定して、いよいよ混血の割合を推定することをします。ここでは、ヤマト人、つまり歴史的には本州、四国、九州に主に住んできた人々に、北海道あるいは千島列島、樺太にずっと住んできたアイヌ人、要するに縄文人ですが、その縄文人のDNAがどれくらい伝わっていたか。これは昔から日本の人類学では大問題で、いろいろな割合の推定値が発表されています。
そこでわれわれは、現代人だけからですが、推定してみました。詳細は割愛しますが、ゲノムのデータを使って推定し、縄文系の人たちの直系の子孫が今のアイヌ人だと仮定しました。これは間違っているのですが、いろいろな仮定をしないと残念ながらいろいろと計算ができないので、そういう仮定をしたのです。
一方、弥生人ですが、弥生人から枝分かれしたのが東アジアの人々です。これはだいたいいいと思いますが、そのように推定してみますと、われわれには14パーセントから20パーセントほどしか縄文人の血が入っていないという推定値が出てきました。「しか」と申しましたのは、こうした値が出る前は、何となく7:3で、7割が弥生系で3割が縄文系ではないか、あるいは6:4など、いろいろな推定があったからです。それが、3割どころか2割を切るという推定値が出てきたわけです。これが重要です。
それからもう1つ、図のような系統樹を仮定することによって、いつこうした混血が始まったのかも推定することができます。すなわち、アイヌ人の祖先集団、いわゆる縄文人と、本土人(ヤマト人)の祖先集団は、どこかで出会って、恋をして、そして子どもが生まれます。これが混血ですので、それがいつ起こったのか、ということです。
●縄文人と弥生人は、古墳時代に東北で出会った
そうしますと、いろいろな仮定が考えられます。今がいつかということも微妙ですが、今からだいたい58世代前から55世代前までさかのぼります。親と子どもの年齢差である1世代は、最近は晩婚傾向がありますので30年です。図では赤文字で書いてありますが、1世代30年として、これに30を掛けます。例えば、2010年あるいは2000年を現在として引き算をしますと、およそ紀元3~4世紀、すなわち古墳時代の初めとなります。これを1世代25年とすると、古墳時...