●社会的側面と学術的側面の掛け算が連携事業の契機となる
―― (小宮山)先生みたいな人がいて、インターフェイスの1枚の絵を描いたわけですよね。そのインターフェイスに合わせて、今の既存の組織に横串を刺していく。これってすごく重要ですよね。
小宮山 重要ですよね。
―― その1枚の絵が見える人がいるかどうかって、ものすごく重要ですよね。
小宮山 それが、私が言っている全体像です。
―― 先生がおっしゃるように、サスティナビリティなどについての1枚の絵があり、それを実現するためには、どこと、どこと、どこを組み合わせればワークするのか。それって、それが見える人が総長をやっている間じゃないとできないですよね。
小宮山 実は、工学部の時もやりました。たぶん日本では初めてだと思うんだけど、医工連携のセンターを作ったんですよ。工学部の企画委員会というのがあって、そこで工学部の先生が400人くらいいるんですが、「何を研究しているのか」、ということを調べたのです。そうすると、2割くらいが医療に関係しているんですよ。機械が専門の人でも血流と体温の関係をやっている、とか。それだったら、医学部と連携しないといけないな、と思った。
なぜかと言うと、医学部の先生と工学部の先生が1対1でやると、なかなかできない。そこで、「組織でやらないといけない」、と思って、医工連携のセンターを作ったんですよ。これなんか本当に成功です。
―― それって先生が、実は工学部の先生のうち、2割は身体に関することをやっている、というデータに基づいてやったわけですね。
小宮山 そうですね。それと社会的知識ですね。やっぱり掛け算です。社会的な話と、学術的な話とのですね。
―― 人間学と経験値があって、そこの二つが分かっている人がいないと、これは上手くワークしないわけですね。
●日本に足りないのは議論文化である
小宮山 そうですね。私がそういうことを分かるようになるためには、人が接触する、ということが不可欠なんですね。だから、やっぱり日本で、欧米になかなか勝てないところがあるとすると、今、私とあなたがやっているような議論文化ですよ。
ギリシャ以来の議論の文化です。その文化が日本にもほしいですね。日本の場合、議論すると、「あいつは生意気だ」と言われるでしょ。場合によっては、「あいつは俺の意見に反対した」と言われるでしょ。
―― 敵対勢力にされますよね。
小宮山 本来議論というのは、いろんな視点を出すことなのです。「こういう視点もあるね」という、いろんな視点を戦わせることが議論です。その中から、誰かが新しいことを考えついたりできます。「この視点とこの視点から見てみると、本当はこういうことなんじゃないか」、という真理が発見されたりするわけです。同じような考えの人だけなら、議論をする必要はない。それは議論ではない。ここが日本に欠けている点で、それが今、知識の爆発の時代に、日本の弱点になっている。ここをどうするか、です。
●学生が専門分野間を横断する役割を担う
―― 日本では師弟制度のような感じでやってきたから、自分の師匠に逆らえない、という状況があるのですね。完全に水平で平等な関係でやりとりする社会との違いですね。
小宮山 おっしゃる通りです。ただ、それを言っていても変らないわけです。変える方法はいろんなやり方がある。先ほども学生の話をしましたが、例えば、東大の工学部化学工学科という学科で実践した例があります。
修士の学生には一般に指導教官がいて、この人物が修士論文の主査を担当します。その他には副査を担当する教員がおり、副査は大体の人が修士論文を少しだけ確認する程度です。化学工学科では、副査を専任副査という立場にし、主査・専任副査という制度を取り入れました。
修士の学生には、この専任副査にあたる教員をできる限り、自分の専門以外から選ぶことを義務付けました。私の場合、化学工学や化学システム工学という分野が専門ですが、学生には「これら以外から選べ」と言いました。
そうすると学生は、さまざまな講義を聞いているので、研究の中身を「あの先生に自分の研究を見てもらいたい」という希望を持つようになります。結果、こうした学生の希望と専任副査の指導を通じて、分野融合が可能になります。
―― 面白いですね。ある種、チューターですよね。
小宮山 そうそう。本当は、この先生とこの先生はもちろん議論してやるのが一番いいんですけど、議論しない。しかし、学生は自分で研究を進める上で、専任副査の先生からも学びたいし、それによって研究を良いものにしたいと思っています。これを通じて新しいものが生まれる。先生にだって、こういう形で(学生を通じて)反映する。
―― そういう意味で、学生が触媒に...