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本を読まない人類がヒューマニズムという化け物に喰われた

読書と人生(6)読書人がバカにされる時代

情報・テキスト
現代社会では、価値の主客転倒が起こり、読書人がバカにされるようにさえなった。だが、読書人がいなくなるということは、人間が「魂」に対する興味を失ったことを意味している。そして読書をしなくなったから、人間社会はヒューマニズムという化け物に喰われてしまうことになった。ノートルダム寺院の火災後に現われた状況は、欧州の魂が死んでしまったことの象徴である。そしてそれは、実は内村鑑三が予言したとおりだったのだ。(全10話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
≪全文≫

●誰も魂に興味をもたなくなった


執行 いろいろな歴史書を読んで感じるのは、ローマ帝国の末期は、今の民主主義的な末期よりはいいということです。本当の意味での主客転倒は起きていません。たとえば「頭の悪い人間のほうが利口より偉い」といった社会にはなっていません。今の日本は、なっています。

 典型が読書です。僕が子供の頃は読書をしない人もたくさんいました。それでも、(読書)する人間を「偉い」とは思っていました。ただ「僕はしないよ」というだけです。

 それが今は、「読書するやつはバカ」と言われます。僕も読書家なので、みんなに、そう言われていることがわかります。そういう社会になっているということです。いまは芸能社会でしょう。

 また僕が、いまの小学生や中学生を見ていて思うのは、「勉強ができる子にコンプレックスを持つ子はいない」ということです。歴史を見ても、少なくともローマ帝国の時代もそうですし、少し前の日本でも、勉強ができる子に対しては、誰でもコンプレックスを持っていました。勉強ができない子供も、そうでした。それが当たり前だったのです。

 ところが今はコンプレックスを持っている人は、僕のフィールドワークでは、いません。勉強ができる子は逆に「くだらねえやつ」だと言われています。

 ホモサピエンスが神を求めて宗教を築き、哲学を築いてから、今のような文明ができましたが、僕はホモサピエンスの危機を感じます。読書する人がいなくなったのは、その一環だと思います。読書する人がいなくなったということを気楽に言いますが、人間が魂に対する興味を失ったということです。魂に興味を持っていれば、少なくとも読書に対する敬意が生まれます。「本当は読まなければならないけれど、俺は読めないんだ」と恐縮したり、言い訳したりすると思うのです。

 魂に対する興味がなくなったことは、文明の危機を越えて、ホモサピエンスの危機だと思うのです。なぜなら、ホモサピエンスは、魂の屹立(きつりつ)だけでできた動物だからです。その魂とは何か、フランスの哲学者アランが規定していますね。「人間の人間たるいわれは、魂のためには肉体も投げ捨てるところだ」と。肉体よりも魂のほうが重要でないなら、人間ではないのです。今の人には、もうわからないでしょう。今の人は肉体のほうが大事なのです。

―― 犬猫と同じになるということですね。

執行 動物と変わらなくなってしまう。動物としての価値はもちろんありますが、人間としての価値がなくなるのです。

 では、人間とは何か。人間というのは、魂の生き物です。これは宗教も全部そうです。宗教家もみな、魂のために宗教改革をやって死んでいったのです。いい悪いではなく、全員そうなのです。


●ノートルダム寺院より「ヒューマニズム」


―― そう考えると、今は相当な危機ですね。特に日本は、信仰がないぶん危ない。

執行 ヨーロッパも同じです。先日起きたノートルダム寺院の火災がそれを示しています。ノートルダム寺院といえば、フランスどころかヨーロッパの魂です。昔、日本人がヨーロッパにコンプレックスを持っている頃、哲学者でフランス文学者の森有正がヨーロッパ文明と対峙するため、東大教授の職を投げ捨ててパリに行きました。確か女房・子供もみんな家出して、1人書生になってノートルダム寺院の前に住み、毎日、ノートルダムと対峙した。それぐらいヨーロッパ精神の象徴なのです。

 このあたりは『遙かなるノートル・ダム』など、いろいろなエッセイに書かれていて、その森有正に有名な言葉があります。フランスに何十年も住む中で、ヨーロッパの魂を掴んだと思った日があったそうです。その日に下宿に窓を開けたら、「ある日、ノートルダムが見えなくなった」というのです。ここに僕は感動します。

 「ノートルダムが見えない」というのは、ノートルダムが日常になったということです。日常生活では、偉大なものは見えません。法隆寺の隣りに住む人は、「世界中から何であんなものを見に来るのかわからない」とみんな言います。ノートルダムの近所に住んでいるパリ市民も、ノートルダムなど何てことありません。でも日本人にとっては、ヨーロッパの象徴だった。ノートルダム周辺に住む人以外、ヨーロッパ人もみんなそうです。それが森有正が命をかけて対峙し、最後にノートルダムが見えなくなった。これでヨーロッパが少しわかったのではないかと森有正は思ったそうです。ノートルダムは、それほどのものなのです。

 それが焼けたのだから、僕はヨーロッパ中がひっくり返るかと思いました。ところがとんでもないことに、彼らがすぐに気を使ったのは移民問題でした。移民による放火となれば大変な騒動になるから、「あれは放火じゃない」「事故だ、事故だ」とマクロン大統領は叫...
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