●「混沌」が人間のいわれ
執行 とにかく読書で、一番いいたいことは、最初からいっているように「役に立つ読書」をやめてほしいということです。読書とは知識を得るものではないと気付かなければ、読書の価値はわかりません。読書は神秘と付き合い、現代流にいえば「人生の問いを見つけるもの」なのです。自分がどう生きるべきか、どう死ぬか、何をすべきか、それを見つけるために読むのです。
―― そうか、人生の「問い」ですね。
執行 「問い」なのです。要は、「問い」を見つけるために読むのだから、これは逆にいうと、「難しい本」もないのです。全部わかる必要もありません。たとえば昔の人が書いた哲学書や何かを読み、そこにある1行か2行でもいいから人生の問いを見つけられたら、それで価値があるわけですから。今の人は、政治家も含めて、「問い」がない。どう生きるべきか、どう死ぬべきか。日本の政治を考える前に、自分が1人の日本人としてどう生きるか、どう死ぬか、その問いに自分なりの回答を持つ必要があります。
政治は、人間の命に付随するものです。政治家といっても、生身の人間です。人間の命のほうが上で、政治が上ではありません。「命」が政治をやるわけで、その命をつくるのが読書なのです。
僕のいう「神秘」とは、言葉を換えていわせてもらうと、「混沌」です。人間の一番優れたところは、「混沌」を持っているところです。よく訳のわからない「混沌」です。「混沌」を持っていることが、人間の人生が尊い、唯一のいわれです。理論では解明できない1つの持続した思考、これが「混沌」です。
この混沌に対するエネルギー補給が読書です。それを僕は「負のエネルギー」と呼んでいます。生きるのは「正のエネルギー」です。正のエネルギーだけではなく、人間の魂には負のエネルギーが必要です。負のエネルギーを注入するのが読書なのです。
その注入をどこにするかというと、魂なんだけれども、頭ではなくて、混沌と呼ばれる訳のわからない、その人間しかわからない人生の時間の中に入ってくるということです。その混沌を強めるのが、読書だと思うのですが、その混沌は、役に立つか立たないかわからないわけです。だから役に立たないことを覚悟して読まなければダメだといっているのです。
僕に強みがあるとすれば、僕の混沌です。僕は人から質問されたとき、応じられない事...