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死ぬ気で物事に体当たりしてこそ、生き筋が見える

武士道の神髄(2)「死ぬ事と見附けたり」の本義

執行草舟
実業家/著述家/歌人
概要・テキスト
信じるもののために命懸けで生き、殺されても文句を言わないのが武士道。その意味では西部劇の主人公たちは、悪人であっても武士と言える。失敗しても自己責任と考えるのが『葉隠』で、大事なのは成功するかしないかではなく、やるかやらないか。自分が命を懸けるべきものが何かは、運命によって決まり、この運命は何事にも体当たりすることで、初めて見えてくるのだ。(全10話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:04
収録日:2019/11/26
追加日:2020/01/24
カテゴリー:
キーワード:
≪全文≫

●「体当たり」だけが武士道


―― おそらく『葉隠』といって一番皆さんがよく知っている言葉が、先生も十戒の第一戒に挙げられた「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」でしょう。

執行 これが一番重要で、それを言えばもう終わるほどです。何もかもが、死ぬために生きているのが武士道です。だから武士道は、武士のものではないのです。一人の人間として生まれたら、死ぬ気で物事に体当たりして死ぬ気で何かに挑戦する。そうすれば、それは全部、その人の武士道です。僕はそう捉えています。

 だから僕の根本思想は、「人生は体当たり」です。体当たりだけが武士道で、本来、細かい話は要りません。僕に言わせればキリストも釈迦も、武士です。全部体当たりして生きたからです。何に体当たりしたかは関係ない。何でもいいのです。

 西部劇に出てくるビリー・ザ・キッドも、僕に言わせれば武士です。僕は西部劇も大好きで、人に推薦している映画に西部劇もたくさんあります。西部劇に出てくる人物は悪いやつばかりですが、僕は彼らの中に武士道を感じます。

 自分が信じるもののために命懸けで生きて、殺されても文句を言わない。昔の西部劇では殺されるときに、大抵「俺は不覚を取った」と言っています。人のせいにしないのです。自分がしくじったから殺された。その思想です。ビリー・ザ・キッドでも誰でも、死ぬときはみんなそう言っています。

 西部劇の名手として知られる映画監督のジョン・フォードの作品を見ると、大抵主人公が死ぬときにこのセリフを言わせています。だからジョン・フォード自身が、武士道の人なのだと思います。ジョン・フォードはアイルランド移民の子で、先祖はアイルランド人です。アイルランド魂をアメリカの西部劇に投影しているのです。アイルランドは歴史が古い国ですから、アイルランド人の中にも武士道が生きていて、その象徴がケルト神話だと思います。

―― 「不覚を取った」というのは、「嵌められた自分が悪い」「騙された俺が悪い」と。

執行 当然です。戦争でも何でも負けた人間が悪い。戦争が悪いのではなく、負けることがダメなのです。

―― まさにそこで不覚を取っている。

執行 そうです。

―― 『葉隠』の「死ぬ事と見附けたり」で言っているのは、逆に「死を覚悟して突っ込めば、生き筋が見つかる」ということでもあります。

執行 そうとも言えま...
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