どの家にも、いいところは必ずある。今まで続いてきたということは、生命的に見て、何か「いいところ」があるのだ。それを見つけることが重要で、それが武士道の立脚点にもなる。家族への愛の深さという点で言えば、家族同士の喧嘩も愛情表現の一つである。そうして立脚点を見つけたら、あとは運命に向かって体当たりをしていく。運命は一人ひとり違うから、教えてくれる人は親でもなく、一人もいない。だから読書をして、歴史や文学に学ぶしかないのである。(全10話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
≪全文≫
●どんな人間でも、どんな家でも、いいところは必ずある
―― それもまさに先ほど先生がおっしゃった「縁」ですね。つながり、宿命の部分ですね。
執行 こうしたものは、探せばどんな人間でもあります。「私の家には、いいものが何もない」などと言っている暗い人に何人も会いましたが、そういう人は「見る力」が本当にありません。いいものがない家系は、僕が見ている範囲でありません。本人が見つけ出せないだけです。
どんな親でも、一片の愛情がなかったら子供は育ちません。だいたい、ダメだと言っている人は、人と比較してのことです。だから「あっちのほうがよかった」とか「こっちのほうがよかった」ということになる。
―― 子供の頃はありますよね。「何とかちゃんの家に生まれれば、こんなもの買ってもらえた」といった話は。
執行 そういうくだらないことで、みんな比較です。比較を外して見れば、どんな人間でもいいところはあるし、どんな家でもいいところはあります。いいところのない家は、存続していません。生命というのは、生命的に見ていいところがなければ死滅します。存在しないのです。存在しているということは、生命的に見て、何か「いいところ」があるのです。そこをまず見つけ出さなければダメです。
―― 少なくとも自分までは続いてきているわけですからね、ずっと。
執行 そう、それを見つけ出す。そこに一片の愛情は必ずあります。そういうものをまず見出すのが最初でしょう。
―― そこがないと、武士道の立脚点すらなくなってしまう。
執行 たぶん、そうなのでしょう。僕はその意味では、両親がすごくよくて、生まれたときから愛情をずいぶん与えられて育ちました。そこに武士道が入ったから、良かったのです。
―― 確かに自分の宿命なり、つながってきたものを愛せないと、「もののあはれ」もわかりません。
執行 それは、わからないでしょう。今の日本人は、そういうものがわからなくなってきていますから、今後はかなり厳しいでしょう。社会全体になくなってきています。
―― だから「自分探し」みたいな話で、何を探すのだかわかりませんが、探すことになってしまうのですね。それよりも先に、自分の中にあるものから「何を感じ取るか」ですね。
執行 そう、そこです。
―― でも逆にそう思うことで勇気づけられる人も多いでしょう、今の世の中では。
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