●どんな人間でも、どんな家でも、いいところは必ずある
―― それもまさに先ほど先生がおっしゃった「縁」ですね。つながり、宿命の部分ですね。
執行 こうしたものは、探せばどんな人間でもあります。「私の家には、いいものが何もない」などと言っている暗い人に何人も会いましたが、そういう人は「見る力」が本当にありません。いいものがない家系は、僕が見ている範囲でありません。本人が見つけ出せないだけです。
どんな親でも、一片の愛情がなかったら子供は育ちません。だいたい、ダメだと言っている人は、人と比較してのことです。だから「あっちのほうがよかった」とか「こっちのほうがよかった」ということになる。
―― 子供の頃はありますよね。「何とかちゃんの家に生まれれば、こんなもの買ってもらえた」といった話は。
執行 そういうくだらないことで、みんな比較です。比較を外して見れば、どんな人間でもいいところはあるし、どんな家でもいいところはあります。いいところのない家は、存続していません。生命というのは、生命的に見ていいところがなければ死滅します。存在しないのです。存在しているということは、生命的に見て、何か「いいところ」があるのです。そこをまず見つけ出さなければダメです。
―― 少なくとも自分までは続いてきているわけですからね、ずっと。
執行 そう、それを見つけ出す。そこに一片の愛情は必ずあります。そういうものをまず見出すのが最初でしょう。
―― そこがないと、武士道の立脚点すらなくなってしまう。
執行 たぶん、そうなのでしょう。僕はその意味では、両親がすごくよくて、生まれたときから愛情をずいぶん与えられて育ちました。そこに武士道が入ったから、良かったのです。
―― 確かに自分の宿命なり、つながってきたものを愛せないと、「もののあはれ」もわかりません。
執行 それは、わからないでしょう。今の日本人は、そういうものがわからなくなってきていますから、今後はかなり厳しいでしょう。社会全体になくなってきています。
―― だから「自分探し」みたいな話で、何を探すのだかわかりませんが、探すことになってしまうのですね。それよりも先に、自分の中にあるものから「何を感じ取るか」ですね。
執行 そう、そこです。
―― でも逆にそう思うことで勇気づけられる人も多いでしょう、今の世の中では。
執行 それもあるでしょう。家族問題は、やはり今一番大きいです。マイホームの時代ですから。ただ、僕流に言うと、昔の家族、僕の小さい頃の家族のほうが愛は強いです。絆も強い。だけど仲がいい家族なんてありません。
―― むき出しの喧嘩をしている。
執行 みんなむき出しです。本当に愛が強ければ、喧嘩も多くなります。今の家族は仲良さそうに見えるけれど、僕は嘘だと思います。仲がよければ喧嘩が増えるのが当たり前です、人間同士ですから。昔の家族は凄かったものです。僕が小さい頃まで夫婦喧嘩がない家なんて、見たことありません。僕の家には近所のいろんな人が逃げてきて、何人飛び込んできたかわかりません。しょっちゅう夫婦や親子で殴り合いの喧嘩をしていました。
社会が違うと言えばそれで終わりですが、僕の記憶では我が家も含めて、昔のほうが家族の、兄弟愛や親子愛は強いです。
―― ある意味、仲がいいからこそ、安心感があるからこそ、喧嘩もできる。こいつとは喧嘩しても切れることがないと。
執行 安心感以上に「愛」です。子供を愛していれば、例えば子供の行儀が悪かったり躾がなっていなかったりしたら、その子供が一生苦しむのだから、黙っていられません。今の親は黙っています。家庭の平和を取っているのです。これは言葉としては「愛がない」としか言えません。家庭の「平和」のほうを優先するのだから。今、どの国家にも正義がないのは、戦争絶対否定だからです。正義がなければ、喧嘩は起こりません。戦争がまったくないというのは、簡単に言えば、どの国も正義を捨てたという意味です。愛も同じです。家族に喧嘩がなくなったのは、そういうことです。
●運命は歴史や文学から学ぶしかない
―― 先生のお父様が「生意気だ!」と言うのも、まさにそれが愛。
執行 実際、そう言ってます。僕の親父も昔の人間で僕に対する愛が深いから、自分の人生観と違うと許せないのです。「こんな時代に何が武士道だ。この馬鹿。この誇大妄想が。おまえは頭がおかしい」と、死ぬまで親父は言っていました。言うのが当たり前で、これは仕方ありません。親父は本人もエリートで、エリート志向の人でしたから。
―― それを子供としては、それも愛として受け取るわけですね。
執行 僕は受け取りました。親父からは勘当されましたから、仕方がないですが。僕はかなり親孝行な人間ですが、人生観...