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家の名誉を汚さない――武士道と「父祖の遺風」の共通点

江戸とローマ~「父祖の遺風」と武士道(3)家の名誉と教育のために

本村凌二
東京大学名誉教授
情報・テキスト
「父祖の遺風」はローマ貴族の伝統精神として受け継がれたものだが、日本の武士道は明治維新以降、軍隊の中で庶民にも拡大していく。家に対する誇りは両者に共通しているが、ローマでは特に著しい。彼らはそのプレッシャーをどう生かしたのか。また、ローマをヒントにしたAI時代の家庭教育とは。(全6話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:08:30
収録日:2021/07/16
追加日:2022/11/26
キーワード:
≪全文≫

●軍隊の中で庶民に伝えられた武士道精神


―― 本村先生にはテンミニッツTVで「独裁と世界史」というお話もいただいています。ローマの共和政時代、元老院に入るような貴族階級の伝統というお話でしたが、「父祖の遺風」はやはり主に貴族階級が持っていたという認識でよろしいわけでしょうか。

本村 そうですね。公事の担い手は、そういう階層の人たちだったわけです。庶民レベルで父祖の遺風といっても、先祖をどれだけさかのぼれるかは分かりません。庶民レベルでは、そこまでは行っていないと思います。

 日本の場合、武士の中に武士道的なものがあったのは、明治維新の後の日本が富国強兵を通して創り上げていった軍国主義のいい面になったのではないかと思います。(軍国主義は)全面的に否定することではなく、武士道的なものが軍隊の中では、いい面で受け継がれていったのではないでしょうか。

 かたやローマの場合、父祖の遺風がローマ軍の中で受け継がれるということは、あまりなかったのではないかと私は思います。日本の軍国主義が良かったかどうかは、結果論としては否定しなければいけないけれども、人間の生き方として、(武士道的な)面を庶民レベルまで広げたという意味で、ある種の役割を果たしたのではないかという気がします。


●武士道と「父祖の遺風」の共通点に通じる「家の名誉」


―― 武士道と父祖の遺風の共通点をいうとすると、今、規則ということがありましたが、武士道も家に対する誇りですよね。例えば本村先生であれば本村家をどうするのか、ということになります。おそらく元老院貴族の家でも、例えばカトー家ならカトー家をどうするかだったでしょう。家をどう隆盛して、家の歴史を思いながら、自分が継いできた者としてそこに立つときにこれをよりいいものとして自分の子孫につなげなければいけないという意識が、武士道と父祖の遺風に共通しているのかという感じを持ちました。

本村 そうですね。家をどんどん盛り立てていくというよりも家の名誉を汚さないというのが、非常に共通しているところではないかと思います。汚さないためには、自分も先祖に負けないぐらいの仕事をしなければいけないことになる。ただ名誉を守っていればいいというのではなく、それに匹敵するだけの名誉を上げなければいけない。そこが、やはり共通するところだと思います。

―― 「あなたのおじいさんはこんなことをしたのよ」とか、「あなたのひいおじいさんはこんなことをしたんだよ」と言われながら育つと、たぶん子どもとしてはプレッシャーを受けながら育つのでしょう。そのプレッシャーがいい方向に向き、責任感として作用していく要素に期待するというところなのでしょうね。

本村 前回カトーの例を挙げましたが、彼の息子は少し体質的に弱い子でした。しかし、彼はわが子を教育し、鍛え上げていった。そして、ある時、敵に囲まれながら、それを切り抜けてちゃんと帰ってきた。そのことを彼は非常に誇らしく思っているのです。

 もちろん戦いなどというのは、われわれの生きる20~21世紀の考え方からすれば非常に陳腐なことかもしれないけれども、あの時代にとってはそうではなかった。戦いの場をきちんと切り抜けられるのは、それだけの力を備えていることで、それだけの息子に育ってくれたということが彼にとっては誇りになっていた。それが彼らの持っていた「自分の息子たちを大事にする」ということでした。


●ハラリの指摘したAI時代の家庭教育のあり方


本村 『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』を書いたハラリ氏が、一つの可能性として言っていることがあります。AIがどんどん進んでいくと、人間のやることはだんだん少なくなってくる。仕事はAIやロボット、ドローンなどに任せれば、それで済んでしまうようになる。人間、特に男性が仕事からあぶれていってしまうのだけれども、彼はそのおかげでできることが一つある、と非常に面白い見方を呈示しています。男性が、特に自分の息子や娘の教育に対して直接に携われるようになる、というのです。

 これは、やはりそういう身近な人間が行うのが本当は一番いいのでしょう。父祖というか家の人間、あるいはアレキサンダー大王がアリストテレスに教育されたように、家庭教師を雇う。これは雇えるだけの財力が不可欠ですが、1対1という形で身近な人間がやってくれるのが一番いいわけです。ましてや親が取り組むのは大変いいことで、それだけの余裕ができてくるはずだととらえられます。

 仕事がなくなる(ことを憂える)のでなく、それによってできた時間をどう使っていくか。子どもの教育に両親、特に父親が携われるようになるのは、その一つの有力候補だと彼は指摘しているわけです。

 それぐらい、教育の中に父親が占める役割は、本来大きなものがあった...
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