●いまの自殺は「責任の取り方」ではなく「逃げ」
―― 先ほど「責任を取るのは自分」という話が出ましたが、間違えたときに責任から逃げてしまう人もいれば、さらに突っ込む人もいるなど、いろいろなタイプがいます。武士道的に考えた場合、どのような責任の取り方を覚悟すればいいでしょう。
執行 仕事の失敗ですか?
―― 仕事で失敗してしまった。家族ももちろん、何かで失敗があるでしょう。主には何かうまくいかなかったとか、失敗してしまったときに、どうすればいいか。
執行 失敗を認めて、もう一回やり直せば、責任を取ったということです。これはある意味では、死ぬよりつらいことです。失敗を認める人に、僕はほとんど会ったことがありません。本当に失敗を認めて、失敗を反省して、改めて、もう一回正しい形でやり直す。これが責任の取り方としては一番大きいものです。昔の切腹もそうです。切腹は「死ぬこと」だと思ったら大間違いです。
―― そこが一番難しいところですね。
執行 これをみんな、わかっていません。昔は武士の家柄というのは、延々と続きます。後継ぎがいて、ある意味では永遠です。後継ぎが武士としてやり直すために、親は腹を切るのです。
―― なるほど、わが身を殺して……。
執行 そうして武士道を立てる。だから武士道の切腹とは、「死ぬこと」ではないのです。切腹をすることによって江戸時代では家が存続して、もう一回子供が武士としてやり直せる。これが本当の「失敗を認めてやり直す」ということです。それが責任の取り方です。切腹は武士にとって一番の権威でしたから、だから本当に殺されるときには切腹させてもらえません。
―― そうですね。縛り首や斬首などということになってしまいますね。
執行 それが「殺された」ということです。切腹して自分で死ぬというのは、死ぬのではなく、失敗を認めてもう一回やり直すことです。復活なのです。切腹とは復活のために切ることです。肉体としての自分は死にますが、昔の武士の見方は、子供は自分と同じというものです。
―― 家がずっと続いていくことの重みですね。
執行 実際、ついこのあいだ、民主主義が発展するまでは、親の借金も子供の借金でした。親子は一心同体だからです。自分が責任を取って腹を切れば、子供がそれを受けた形で、もう一回やらせてもらえる。これが昔の武士社会のシステムです。切腹...