●伊能家に婿入り、財政再建に一念発起
童門 ある時、佐原の伊能家というところで婿捜しをしているということで、「おまえさん、どうだ」と世話人が来たので、会いに行くわけです。家付き娘がちょうど夫を亡くしたばかりだし、大きい家の娘ということで。
―― 伊能家というのは、もともとどういう家柄なんですか。
童門 何というんでしょうか、町の豪家です。
―― いわゆる豪農のことですか。
童門 そうですね、豪農です。だから村役人もやっているんですよ。ただその家付き娘が、2度目がこんなやくざの名も高い人ではちょっと困ると嫌がるんです。そこを世話人がなんとか説得して、とにかく婿に入ったわけですよ。
そこで考えました。一旦、他人である伊能家へ入った以上は、「郷に入っては郷に従え」で、ここの掟を守らなきゃいけない。それから見たところ、伊能家は財政的には非常に傾いている。だから自分がやることは、財政再建で、元に戻すことだと。そうすれば、色目で見ている俺への印象も変わるだろうということなんです。
家業として農が主ですけれども、換価できる、付加価値のある農作物を作るということを彼はやったんです。それから炭を焼いて、それを売り出すとか、酒まで手を出して。それから、片田舎の佐原の町だけで商売しても益はたかが知れている、ということで、江戸に支店を出すんです。その支店がものすごくはやる。産地直送の物などを送るからです。
それで赤字がめきめき減っていって、財を成すようになっていくんです。
―― 最近の近郊農業をこの時代から先取りするような形の動きですね。
●「50で隠居」計画し、有言実行
童門 そうです。それで結局、心の片隅では測量をやりたい、星の研究をしたいという志を捨てきれませんから、ある日、目標を立てるんです。50になったら隠居しよう、と。その後を息子に譲って、俺が測量と天文学を学ぶことに専念をしたい。ただ、それは金がかかる。だから、その金をこの家から嫌がらずに出してもらえるように、せっせとそれだけの実績を積もう、と。
ということで、いよいよ家業に力を入れて、結局赤字を完全になくしてしまいます。そして、ちょうど49歳から50歳頃になった時、女房と息子を呼んで、隠居すると宣言をします。忠敬が伊能家に入ってきた時の女房は、嫌がってご飯も一緒に食べませんでした。台所に行って、使用人と一緒に食べてください、と。忠敬はそういう扱いを受けていたんです。でも、忠敬は怒らない。今の俺ではしょうがないだろう、と。
それで結局、宣言をするわけです。隠居する、家はせがれに譲る、と。その子は忠敬と伊能家に入った時の女房との間にできた子ですから。「じゃあ、何するんですか」と聞かれたので、「星の勉強と測量をしたい」と答えます。これは、別に家業と関わりがないわけではありません。農民たちが田畑の測り方にしても自分の知恵を持っていないから、場合によっては厳しい役人の検地で年貢を多く取られているかもしれない。一人一人が自覚して、自分というものを持つと、田畑に対する知識も増えるようになると思うから、そうなると村のためにも役立つと思う。これをやりたい、と。
やるにはどうしてもいろいろな機械がいる。だから、その前に自分が専門的な知識を学んできていないから、浅草にある幕府の天文方(今の気象庁)へ入って、改めて勉強したい。それには町人がいきなり入ったって、もう50になるし、向こうでもいぶかしげに詮索するだろうから、これはひとつ手を使わなきゃしょうがない。
どうも見たところ、今の天文方で使っている測量器具は全部古いもので、あまり良くない。良くない機械で測れば、誤差が出てしまう。ここはなんといっても長崎から入ってくる外国の製品に限る。高いけれども、それを買って土産代わりに天文方へ届けて、どうか尊敬する高橋至時先生という天文方の一番お偉い人の弟子にしてもらう。こういうことを宣言しました。
もう実績が十分ありますから、女房も息子も納得して、こう言ったそうです。「よく分かりました。だから、おとっつぁん、どうぞ本当にしたいことをしてくださいな。今おっしゃった、いろいろな機械や何かを買う費用というのは伊能家が全部負担しますから、大船に乗った気でね」。これが測量家、伊能忠敬さんの前半生です。
●「徳あれば隣あり」の典型だった前半生
―― 最初は使用人と一緒に飯を食えという立場だったのが、そこまで持っていくというのは、すごいですね。その過程で、ご本業というか、村役人、名主さんのようなことをやりながら、例えば天明の大飢饉では私財を投げうって佐原の地区の皆さんを救った、と。
童門 そうです。よそから難を逃れて来た民を、炊き出しをして全部迎えました。だから徳もあったわけです。
――...