テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

徳川家康はいかにして他家を圧倒する経済力を確立したか

戦国武将の経済学(4)徳川家康の経済政策

小和田哲男
静岡大学名誉教授/文学博士
情報・テキスト
徳川家康
織田信長や豊臣秀吉が「攻め」の経済なら、家康は「守り」の経済を邁進する。豊臣家を滅ぼした戦略から、全国の富を中央に集約する幕藩体制と、金山銀山の直轄経営。徳川幕府260年という長期安定政権は、確固たる財政基盤なしにはあり得なかったのだ。(全4話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:07:25
収録日:2019/11/22
追加日:2020/03/15
≪全文≫

●徳川幕藩体制の財政基盤をつくった「地方経済」


―― その後、徳川家康が豊臣政権の足場を弱くしていくために行ったのは、もともとは豊臣秀吉の直轄していた金山・銀山を、関ヶ原の戦いの後、徳川のものにしていくということですね。

小和田 そうですね。特に金山奉行・銀山奉行として有名なのは大久保長安(大久保石見守長安)です。彼が、石見銀山や佐渡金山などを直轄することになりましたし、出雲金山もありました。そういったところから出てきた金銀が、幕藩体制の財政基盤をつくったということになります。

 徳川幕藩体制の初期の頃は大久保長安、それからあまり有名ではありませんが、代官頭で伊奈忠次という人がいました。彼らが、各地の河川を補修し、合わせて新田開発をしていきました。それによる収入も、かなり莫大になってきたということがあります。

 いわゆる「地方(じかた)経済」といいまして、それが相当大きな力を発揮するような流れになっています。


●朱印船貿易から鎖国へ。徳川オンリーワンの時代


―― 鎖国はもう少し後のことで、家康の頃は海外貿易の時代から鎖国に至る途中ということになると思いますが、当時は「朱印状」を発行して貿易をさせたりしました。

小和田 朱印船貿易ですね。

―― これは、意味的にはどういうことがあるのですか。

小和田 貿易自体は本来、誰がやってもいいのです。有名な例では、加藤清正が自分の船を出して南蛮貿易をやっていました。でも、そうすると彼らはお米だけの収入ではなく、海外貿易からの収入も得てしまいます。そういうことがあると、幕府にとっては脅威になりかねない。そういうことで、だんだん貿易を規制していきます。

 結局、幕府の老中の出した朱印状を持っていない船は貿易をしてはいけないということで、貿易の権利を幕府がだんだん独占していくことになります。

 よく江戸時代を「鎖国」という言い方をします。たしかに三代将軍・徳川家光の後からは「鎖国」になりますが、厳密にいうと、幕府による貿易独占です。つまり、諸大名たちが海外貿易のうまみから、だんだん足が遠のいていくというか、規制されていくことによって、幕府だけにその権限や権力が集中していくということです。これは、家康自身が経済をそういう形で治めたからで、このことが徳川幕藩体制が260年ほど結構な長期安定政権をつくった理由ではないかと思います。

―― 徳川(江戸)幕府は、自分のところを経済的に相当大きな存在にしますよね。前回、秀吉の直轄地が約200万石(220万石)という話がありました。

小和田 関ヶ原後は、徳川幕府の家康直轄地が約400万石です。それ以外にも、徳川系の譜代大名の土地は結構多く、かなりの石高になっていきます。(徳川家以外で)江戸時代最大の石高は加賀前田の100万石という言われ方をしますが、これでもう完全に、徳川(将軍)家が誰にも譲れない、誰も倒すことができないような力関係になっていきました。


●圧倒的な経済力を長期安定政権の基盤に


―― しかも金山・銀山は直轄していて、「鎖国」といいますけれども、長崎の出島ではずっと貿易をしていました。あそこでの利益も徳川幕府が全部、独占していたということですね。

小和田 そうですね。その利益を着服していくということで、完全に他の大名たちを凌駕していきます。

―― 時代はさかのぼりますが、足利(室町)幕府という、非常に不安定な政権がありました。あれは、逆にいうと、最近よくいわれるのが足利尊氏の気前が良すぎたということです。領地をみんなに分配しすぎた、といわれます。秀吉、家康と見比べたとき、家康は圧倒的な経済力を自分と自分の譜代に置くことで、260年の安泰を導いた、と。

小和田 これはたしかにそうなんです。室町時代は各地に守護がいて、もちろん守護は将軍のほうにつくけれども、なかには有力な守護もたくさんいました。例えば、山名の場合、「六分の一衆」という言い方をして、66州の中の六分の一、11か国を兼ねるというすごい力を持った守護だったわけです。

 そういったことからすると、江戸時代は、外様で一番大きな大名が100万石です。ほかには島津や伊達が60万石ぐらいですから、徳川家がダントツの一位です。他を凌駕していくシステムが、もう完成したということで、あれだけの長期安定政権ができたのでしょう。

―― 経済的な観点から見ると、戦国期はもちろん戦争が主なのですが、その後、平和をつくるときに経済をどう回していくかという点も、なかなか興味深いところです。

小和田 そうですね。戦いが連続しているときは軍事費が相当かかります。軍事費が捻出できないで滅びていく大名もありました。そうした点でいうと、戦争はないけれども、経済的にダントツの1位でいることで長期安定政権をつくったという...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。