●国家財政の規模を最小限に抑え、複式簿記と銀行を発明
本村 前回は、ヴェネツィア人が交易により外交術を磨いていった経緯をお話ししました。また、商業活動における彼らの知恵として、国家財政の規模はできるだけ最小限に抑え、なるべく金のかからないようなものにすることがありました。
―― ローマとの比較でいうと、よく言われるのがローマの「パンとサーカス」手法ですが、そのあたりはいかがでしょう。
本村 いや、それとは違うと思いますね。これはつまり国家財政のことで、ローマも国家財政という点では、意外にそれほど大きな規模ではないのです。
―― そこを肥大化させなかったわけですね。
本村 ええ。小さな地域におけるローカルな金持ちや富豪を自分たちの国家に取り込むことによって、肥大化させないようにしていたのですね。だから、全体としての国家財政と役人の規模をそんなに大きくしないことに、ヴェネツィアはまず意を注いだというわけです。
それから「複式簿記」が出てきます。商業交易を行っていく際に合理的にさばけるような簿記や帳簿のシステムがつくられていきました。それから銀行もできました。現代の銀行とは少し違いますが、ある程度お金を預けておけば、一定の地域から一定の地域に現物のお金を運ばなくても、支店のようなところを通じて受け取れるということが、帳簿を用いることでできるようになりました。
―― 帳簿と伝票だけで済んでしまうわけですね。
本村 ええ。そういうシステムをある程度開発していただろうということで、商業交易でのし上がっていっているため、それに付随するさまざまな工夫が行われていました。それがヴェネツィアの特徴であって、できるだけ財政的にも最小規模の国家をヴェネツィアは体現しました。
●自由尊重の気風とドージェ直接選挙のジレンマ
本村 独裁政については、まず彼らはローマの発端の時期を見ていたでしょうし、ゲルマン民族が独裁政を敷いていたことも見ていました。そういう中にあって、ヴェネツィア人たちはできるだけ自分たちの自由を尊重する方向を選びました。
彼らはそもそも発端において、ゴート人やゲルマン民族の一派がやってくることを嫌って避難しました。それは、自分たちの自由を守りたいという意識がことさら強かったからだと思います。だからこそ彼らは、自分たちの中に独裁者をできる限り登場...