●「石油は100パーセント輸入」の日本を襲ったオイルショック
それからもう一つ、今日は、「日本は世界に冠たることをやっている」ということをいくつか言いたいのです。先ほど、黒船が来ても植民地にならなかったということを言いましたし、それから、環境問題を起こしたけれども、克服しました。
そして、これは「エネルギー問題」についてです。1973年のことですから、君たちは、まだ当然生まれていないわけで、君たちが生まれる10年ぐらい前になります。その頃、オイルショックというのが起こったのです。これは、いろいろな理由があって、政治的な理由が強かったのですが、石油の値段が一気に跳ね上がったのです。10倍から20倍に跳ね上がりました。
日本は今言ったように、工業をやって一気に先進国になれたのですが、どうやったのかというと、安い輸入のオイルに100パーセント頼って、高度成長を成し遂げたのだけれども、その石油の値段が一気に10倍に跳ね上がったのです。これは、世界中が大変だったのですが、日本は特に大変でした。石油は100パーセント輸入に頼っていたからです。
●技術者の努力で危機を乗り切る
ところが、それを見事に乗り切りました。これは、君たちのお父さんかおじいさんの世代かな、その頃の技術者が頑張ったのです。何を頑張ったかというと、これはセメントの例ですが、セメントをつくるには必ずエネルギーが必要なのですが、1トンのセメントをつくるのに、これぐらいのエネルギーを使っていたのを、30年ぐらいで一気に半分まで減らしてしまったのです。
細かい話はやめて、大がかりなセメントをつくるプロセスがあるのですが、それをどんどん改良していったわけです。技術屋がそのようなことをやるのは当たり前かというと、そんなことはないのです。日本の技術者が頑張ったのです。
これは、2000年頃のデータですけれど、日本が1トンのセメントをつくるのにこれぐらいのエネルギーを使っていたときに、アメリカは日本の1.7倍も使っていたのです。この図の〝US〟というのは〝United States〟の略ですね。これは、日本の1965年頃の技術だったのです。
こうした技術開発を僕の友達ぐらいの年齢の人がやったのです。ですから、君たちのお父さんかおじいさんぐらいでしょう。そういう人たちが、本当に血のにじむ...