●緊張感がなくなった瞬間に敵にやられる
さて、なぜ城を攻めるのが下であり、一番悪いことなのかということをその次で言っています。
「攻城の法」は、城を攻めるやり方ですが、「已むを得ざるが爲」というように、しょうがないのでやるくらいのものであって、要するにやってはいけないということを言っているのです。それから、「櫓<ろ>ふんうんを修め」ですが、「櫓」というのは大型の盾であって、この大型の盾を持って城を攻めることです。これは何を言っているのでしょうか。「ふんうん」というのは運搬車で、盾と運搬を修めるというのですが、「器械を具ふ」と続きます。実は城攻めの最大のポイントは城壁です。城壁の上に敵兵がいて上から下に向かって攻撃してくるわけです。例えば、今われわれが城を攻めようとするときには、当然われわれは下にいて、敵は上から攻めてくるわけですから、ものすごく戦いにくいわけです。
したがって、城を攻めようというときは、その城壁の高さまで土を盛るわけです。しかし、敵はそう簡単に土などは盛らせてくれませんから、結局、櫓、つまり大型の盾で敵の攻撃を防ぎながら、この「ふんうん」で土砂を運んでそこに機械を備えるのです。要するに、その高さまで土を盛っていくということをやらなければいけないわけです。そうしなければ、簡単に城などは落とせないわけです。それだけの期間だけで3カ月です。「三月にして後に成る」というのは、3カ月かかると言っているわけです。
次は「距いん又三月にして後に已む」です。「距いん」というのは土を積むことなのですが、要するに準備に3カ月、それから土を盛るのに3カ月、つまり、これで半年かかってしまうわけです。では、半年間兵士は何をしているのかというと、両方やらなければいけません。敵の攻撃に対してこちらも応戦しなければならないし、土を盛る作業もしなければいけないのです。
したがって、「將其の忿<いかり>に勝<た>へずして」となります。この場合の怒りというのは緊張感です。要するに、戦場にいるわけですから、緊張感がなくなった瞬間にやられてしまうので、いつも緊張感を持ってやっていかなければいけないのですが、半年間も毎日緊張していろと言われるわけですから、それはもうたまらないということになって、「之に蟻附し」ということで、蟻のように付いていることはもうたまらないとなって、少々無謀でも敵を攻撃してしまおうという気になってしまうのです。
ですから、敢えて自分から不利な戦いを始めてしまい、「士を殺すこと三分の一にして」と言っているように、3分の1が犠牲になって、しかも城が抜けないという、これこそが城攻めの、攻城の法の最も危険なところです。ですから、城を攻めてはいけないわけですが、これは無謀な戦いであることを言っているのです。
これはビジネスにおいても言えることで、要するに、Aという競合の本丸であるマーケットを、大した戦略もなく、商品もなく、無謀に奪い取ってやろうなどと考えること自体が大間違いであり、そういう意味で、慎重さというものがまず第一番に来なければいけないということを説いているわけです。
●武力以外の力でも相手を圧倒する
その次、「故に善く兵を用ふる者は、人の兵を屈するも、戰ふに非ざるなり」です。つまり人の兵を屈するというのは、向こうが戦意を喪失して戦うのが嫌になるようにすることなのですが、戦いでそれをやるのではないということです。それはどういうことかというと、とてもかなわないと敵に思わせることが第一だということです。その意味でも、孫子がずっと言っているように、相手が尊敬するような戦略の持ち主であるとか、武力の持ち主であるとか、もっとすごいのがやはり財政力の勝った国ということで、こんな大国にはかなわないと思わせること、それが戦わずして勝つ一つの方法であるということです。
それから「人の城を抜くも、攻むるに非ざるなり」と、城攻めなどはしてはいけないと言っています。では、城攻めの代わりに何があるのかといえば、秀吉などが得意とした兵糧攻めとか水攻めで、要するに食糧の補給路を潰していって、城の中にこもったら最後、もう何も食べるものがないようにして白旗を揚げさせる方法があるということです。つまり、戦力の勝負というより、知恵の勝負へ持ち込むことが重要なのだということです。
そして「人の國を毀<やぶ>るも、久しきに非ざるなり」ですが、長期戦というものが一番いけないことで、短期決戦で緒戦に勝つということが重要です。「必ず全を以て天下に爭ふ」とは、敵・味方とも損傷のない...