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「民のための銀行をつくる」渋沢栄一が考えた日本の道

「近代日本をつくった男、渋沢栄一」の素顔(2)徳川幕府の消滅と「和魂洋芸」

童門冬二
作家
情報・テキスト
大政奉還
徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜に仕え、使節団をひきいて渡仏した渋沢栄一。フランス滞在中におこったある出来事が、彼に「民のための銀行をつくる」という志を抱かせる。そこには「和魂洋芸」という日本が進むべき道への思いがあった。(全4話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:36
収録日:2019/04/24
追加日:2021/02/03
タグ:
≪全文≫

●使節団として渡仏中に幕府が消滅


童門 この一橋慶喜が京都で(禁裏御)守衛総督になっていますから、結局、京都に行ってお仕えするようになりました。ところが、慶喜がやはり政局に巻き込まれて、結果的には15代将軍を引き受けなければならなくなってしまいます。そして、引き受けた後、フランスの皇帝ナポレオン3世と非常に仲良くなります。

 その頃、ナポレオン3世がパリで万国博覧会を開くんですね。そして、それに慶喜を招待する。しかし、当時は将軍の座や徳川幕府の位置そのものがどうなるか分からない時期ですから、とても日本を空けられない。そこで、弟の(徳川)昭武(あきたけ)を代わりに行かせます。ナポレオンも「いいよ」ということで、待っているということになります。

 そうして、どのぐらいの規模なのか、使節団ができます。御一行様で100人ぐらいなんでしょうかね。その事務長に、渋沢栄一が命ぜられる。それで、パリに行きました。向こうでも活躍している。すると、行っているうちに慶喜が大政奉還する。それから、その1カ月半後の慶応3年12月9日に王政復古で、徳川幕府が消滅してしまうと、こういうことなんですね。

── はい。

童門 これで事務長が弱ってしまったんです。というのは、滞在費がぷっつり絶えてしまうわけだから。

── そうですね。とても滞在費を送っている状況ではないですね。

童門 向こう(幕府)も大変ですからね。いや、なくなっちゃったんだから。すると、その弱っているところに訪ねてきた人がある。これがフランスのパリで大きいビルを構えている、ポール・フリュリ・エラールというイタリアの車みたいな名前の頭取なんです。

「ムッシュ渋沢、お困りでしょう」と言う。「やあ、困りました。送金が絶えてしまって、帰りの船の金もどう工面しようかと」「残金は幾らかおありか」「いや、多少ありますが」。すると、「私にお預けなさい」と。「私の銀行というのは、実は事業に融資をしていて、そういう人たちがお金をお預けになると、益金があれば一定の率でそれをバックしている。それを“株式”という。これを全部扱っているのが、私のナショナルバンクだ。なぜそんなことを言うかというと、私はかねてからあなたに感心していたんだ」と。

「お若いのに、ほんとに若い、さらに若い昭武さんというご主人を大事にして礼を尽くしている。使節団の皆さん全員礼儀正しい。だから私はよくバンクの人たちに、『あれが日本の武士の精神、いわゆる“武士道”というものだよ』と話して聞かせています。残念ながらうちの銀行にないものを、あの方々は持っている、と。そのまとめ役が渋沢という人なんだと。こういうふうにあなたのうわさを、うちの銀行でもよくしています。だから、お役に立つならぜひ」。

 それで結局、それを利用して帰りの船賃ができましたので、戻ってきたんですね。


●国は民の護民官たるべし


── 面白いですね。普通の人であれば、向こうでフランスの銀行家がそう言ってきたところで、お金を預けて増やすという考えは、とくに武士的な発想だと、多分なかなか理解できない。何が起きているのか分からないまま「とりあえず増えてよかった」という感じになるかもしれないところで、渋沢さんはその仕組みをきちっと見て取ってきたわけですね。

童門 そうなんですよ。だから、渋沢さんが見ていたのは、万国博覧会の出品物よりも、フランスの社会制度におけるいろんな施設なんですね。養育院とか孤児院とか。あるいは、いろんな理由で困っている、生活上、弱い立場にある人たちを、どう守って保護しているかという、いってみれば、役所が護民官的な役割を果たしている。これは“騎士道”である。西洋のナイト(騎士)の思想であって、これは日本の武士と同じではないかと。

── 民を護る護民官ですね。

童門 そうです。本来は、徳川幕府や大名家の武士たちも、住民や国民に対する護民官の考えを貫くべきだし、本当は持っているんだけれども、何か十分出切っていないところがある。それはやっぱり経済の影響が大きい。富んでいるか貧しいか。特に貧困が大きな原因になっている。これをなくすような形で日本の経済を変えていくには、今こちらで学んだこの制度が一番いいのではないかと、そう思うわけですね。だから彼は、パリに行って日本へ帰ってくる過程では、「銀行をつくろう」という志を抱いてね。それも“民のための銀行”をつくろうという志を得て日本へ帰ってきたわけですよ。

── 銀行といっても、ここでいう「銀行」とは、おそらく現代の銀行のイメージとはちがって、きちんと可能性のあるところに融資をして育てあげていくというような、銀行本来の姿に近いイメージだったのでしょうか。

童門 そうですね。『論語』にも借りた金を返さなくていいなどとは書いてないんだ...
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