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「青春はアモルファスだ」

人生はアクシデンタルに決まる(2)課題設定と経験の結晶化

小宮山宏
東京大学第28代総長/株式会社三菱総合研究所 理事長/テンミニッツTV座長
概要・テキスト
大学院を出た後、助手としてアメリカに渡った小宮山宏氏。アメリカでさまざまな経験をして日本に戻ったが、その後は決して順調ではなかったという。そんな30代の頃の貴重な経験が代表的な著書『「課題先進国」日本』につながっていく。果たしてそれはどんな経験だったのか? 小宮山氏がアクシデンタルなその半生を語るインタビュー。(後編)
時間:16:35
収録日:2014/09/19
追加日:2014/11/13
カテゴリー:
≪全文≫

●研究課題を自分で決めなくてはならない時代に入ってきていた


小宮山 ですから、人生はそんなに設計などできないですよ。

―― 当時の東大の院卒のドクターでも、結構苦しい時があったのですね。

小宮山 そうですね。今の人たちはそういう情報が行き渡っていますから、「これからどうなるのだろう?」と不安に思っているでしょうが、僕らは違いました。先が読めない時代だったのかもしれませんね。それに、右肩上がりの時代でしたから、なんとなく「将来よくなるのだろう」という思いが、多分多くの人にあったと思います。

―― すごい話ですね、先生。

小宮山 いやいや。大して計画していなかったというだけの話です。

―― 戻られてからは順調に?

小宮山 順調ではないですよ。何が順調ではないかといいますと、それは、何を研究するかということを自分で決めなくてはならない時代に入ってきていたからです。

 僕の前の人たちまでは学問の世界も日本は途上国だったのです。アメリカに行って、初めて研究したことを日本に持ち帰って続ける人が多かったのです。ですが、僕はアメリカに行って向こうの研究をして、これを一生やり続けて、いい面が見られるとは全く思いませんでした。もう、そういう時代になっていたのです。これは、工学の性質にもよるのかもしれません。工学には、例えば船舶工学などの対象があって、それによって中身が変わるという性質をもともと持っているからかもしれません。しかし、いずれにしても、アメリカでやったことは、はっきり言うと僕の方が進んでいると思いました。

―― それはすごいですね。

小宮山 その当時、僕が研究していた化学工学の分野では、アメリカと日本は並んでいて、もう追いついていたのです。ですから、ドクターを取ってアメリカに行った時に、「ものすごく新しいものに触れた」という感覚はありませんでした。ただ、「違う世界がある」とは感じました。

―― 違う世界がある。

小宮山 僕はあの時生まれて初めてアメリカを見たのですが、ともかく何をやっても違うのです。僕がいたのはカルフォルニアでしたが、ポスドク用のアパートの前に大きなプールがあって、いつでもそこで泳げるのです。夢のようでした。

 ところが、大学に行ったら、ボスはスミスという教授でしたが、彼は僕以外にも5、6人のポスドクを雇っていて、ボスドクを全然信用し...
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