●最初に現地でみた凱旋門賞が「伝説の1986年」だった
―― 皆さまこんにちは。本日は、2021年10月3日に、フランスのパリロンシャン競馬場で行なわれました第100回の「凱旋門賞」につきまして、本村先生にお話をうかがいたいと思います。本村先生、どうぞよろしくお願いします。
本村 はい、どうも。
―― 本村先生は『馬の世界史』でJRA賞馬事文化賞を受賞されていますが、これまで凱旋門賞にも、かなりお運びになられたということですね。
本村 そうですね。12~13回は行っていると思いますけれども。最初の凱旋門賞が、「伝説の凱旋門賞」といわれている1986年のダンシングブレーヴが勝ったシーンを目の前で見ています。それはもう本当に、その年のヨーロッパの最強馬が全部故障もなく集まって、そのなかで、ダンシングブレーヴが最後方から怒濤の追い込みで勝ってしまったという、いまでも12番の彼のゼッケンが鮮やかに残っておりますけれども。それから十数回、見る機会がありました。
振り返って考えてみると、私が競馬を始めたのが、1970年代の初めでしたけれども、その頃は、まだ、われわれがヨーロッパに行くというのは(あまりなくて)、一生のうち一度くらいは凱旋門賞を見てみたいなと思っていたくらいです。
1980年代になってから、だんだん外国に行けるようになりました。ただ、その頃は、日本も1980年代になって「ジャパンカップ」というレースが、外国の馬をたくさん招待して競わせるというのでやったのですが、最初の何回かはコテンパンにやられるわけですよ。
―― 外国から来た馬にですね。
本村 そうです。日本は最強馬が出走しているのに、向こうからは一流とはいえないクラスが来ても簡単にやられてしまう。だから日本馬が、ジャパンカップですら勝つのは21世紀までかかるのではないかと思ったら、意外とそうではなかったのですけれどもね。最初の10年くらいは、かなり外国の馬が勝っていました。
そういうことがあって、およそレベルが違ったわけです。だから日本の馬が、凱旋門賞にも出るようになりましたが、「勝負ができるなあ」というのは1999年から2000年くらいに、エルコンドルパサーという馬が出まして、これが2着になったのです。それもかなりきわどい2着で、しかも勝った馬が、近年まれに見るほど強いといわれていたモンジューという馬が出てきて、彼には負けましたけれども、ほかの馬は何馬身か差があったのではないでしょうか。1着と2着はたいして差がなかったのですが。
それを見たとき、「ああ、これは日本馬でも、いつか行けるのではないか」と思いました。
●凱旋門賞よりジャパンカップのほうがタイムがいい理由
本村 それから二十数年経っていますけれども、そのあいだにエルコンドルパサーも入れて、オルフェーヴルが2回2着。その前に、ナカヤマフェスタという馬が2着になっていて、4回2着になっているわけですね。だから、いつか勝てるというのは、期待とともにあるし、だから毎年、それなりの期待をもって見ているのですけれども、なかなかそうはいかないのです。
というのは、馬場のコンディションがありまして、フランス、あるいはヨーロッパといっていいのですが、ヨーロッパの芝コースと日本の芝コースとは、ずいぶん違うのです。
2021年の凱旋門賞は、同じ2400メートルという距離を走って、2分37秒台でたしか決着したはずですが、日本のジャパンカップは、同じ2400メートルですけれども(ダービーも同じ距離なのですが)2分20秒台 が出ているのです。
―― ずいぶん違うものですね。
本村 アーモンドアイが、おととしかその前に(2018年)に出した、とてつもないレコードです。凱旋門賞もレコードになれば、24~25秒台のレコードですけれども、それはよっぽどコンディションが良いときです。そういうふうにして、ヨーロッパの芝と日本の芝は別だと考えたほうがいいですね。同じだと考えないで。
2021年もクロノジェネシスとディープボンドという2頭の馬が出て、2頭とも重馬場(おもばば)がうまいといわれたのですが、そんな比ではない。日本の重馬場の比ではありません。はっきりいえば、ロンシャン競馬場の良馬場(りょうばば)というのは、日本の重馬場くらいだと考えていていいところがあるのです。
というのは、芝生の長さも深いのですが、下の土壌の手入れが、日本はかなり整備しているのです。速いタイムが出ますので、日本の馬場は硬いとみんな思っていますが、日本は(それを一生懸命、説明しているのですが)馬場の土壌をきれいに整備して、馬の脚に負担がかからないように、それなりのクッションをつけている。つまり、硬くすると当然、馬は脚に負担がかかって、骨折したり、いろいろな故障が起こりますので、それを防ぐために、かなりの手入れを...