●大谷選手の可能性に注目した小島圭市氏との出会いと精進
―― 歩み(第2回講義)でもお話に出ましたが、今回は高校生の大谷選手の可能性を評価してくれたロサンゼルス・ドジャースの日本担当スカウト、小島圭市氏に学んだことからお話しいただきます。この方に「サイ・ヤング賞を何度も取る投手になる」と評価され、「自分の可能性を見出してくれた人に対して、『もっとよくなっている姿を見せたい』と思うのは普通のことじゃないですか」と言っています。
桑原 高校までの大谷選手は、全国大会で優勝したような選手ではないので、素質はあったとしても、勝つという経験は少ないわけです。ですから、本人も言うように「イマイチ自信はなかった」と。その当時、高校生として考えていたのは、ドラフトで指名される高校生がだいたい30人ぐらいなので、「なんとか、その30番以内に入れる選手になれたらいいな」というのがスタートでした。
そこへロサンゼルス・ドジャースのスカウトが注目した。菊池雄星選手のときから見に来ていた方で、花巻ないし岩手のほうに80回ぐらい来ているらしいのです。他の日本のスカウトは大会のときだけしか来ませんが、この方は雪のときもどんなときも、普通の練習を見に来るということです。
その人に才能を認められることによって、「プロ野球選手になりたい」だった目標が、より高いところに設定できた。そのことが、目標シートの先々にある目標として、いずれは「ワールドシリーズに勝ちたい」とか、そういう目標になっていくわけです。それでいくと、本当に素晴らしい出会いをしたな、ということ。これは菊池選手がいなければなかったことでしょうし、また小島氏の見る目があったということでもあると思います。
―― そうですね。前回、「160キロを出すのに163キロを目指した」という話もありましたが、大谷選手がここでメジャーリーグというものを極めてクリアに意識できたからこそ、日本のプロ野球に入っても非常にうまい具合に努力を積み重ねられたというところもあると思います。
桑原 そうですね。それがあったと思います。
●二刀流をともにつくりあげる監督との関係づくり
―― 続きまして、いよいよ日本ハム時代に入って、大谷に二刀流への挑戦と日本ハム入団を勧めて...