●誰もコロナ対策がわからぬ時期に、なぜ英断できたのか
執行 コロナ対策もすごかったです。今はコロナの時代で、コロナ対策についてスポーツ団体はどこも大変だと思います。病気の蔓延、経済、スポーツ精神またはスポーツのイベント性、それらの狭間にはさまれて、トライアングルで、大変な苦悩があったと思います。ここでもアウフヘーベンを成し遂げました。
これを成し遂げていなかったら、あれほど早く再開できなかった。感染者が出始めた頃で、まだ政治家も医者もコロナ対策が何か、全然まだわからない時期に、Jリーグは早くも感染予防について、ものすごい体制をとりました。まだ大きく騒がれていなかった時期からです。
あとから考えると簡単ですが、政治家も医者も誰もが軽く考えているときに、あれだけのことをJリーグのチェアマンとして本当に実行するのは大変なことです。だから1つのアウフヘーベンなのです。それをやった勇気は、大変なものなのです。
村井 2020年1月22日だったと思いますが、Jリーグの57あるクラブ全部にコロナ対策担当を配置して、徹底的に連携を取ろうと申し合わせたのが、国内感染数が1名のときです。そして2月に試合を中断し、その翌日、政府が大規模イベントの自粛要請を出しました。
執行 そうです。自粛要請の前です。
村井 学校休校も、そのあとです。とにかく早く、徹底的に対応する。相手がどういうものか、よくわからないので。
―― あの時期はそうですね。
村井 それで4カ月、中断しました。
執行 チェアマンとして、あれだけのプロ集団を4カ月中断する決断ができるのは大変なことです。これは自己責任の、最高のものの1つだと、私は思います。村井さんのやった業績の中でも、最高のものでしょう。これこそアウフヘーベンなのです。あの時期ですから。
今だったらこれだけ資料が出ているのでやれますが、誰もやる必要を感じていない、誰もやっていないときにやった。これは今までいくつも出した、勇気のアウフヘーベンの中でも集大成的にすごい1つだと思います。その後、有観客試合をやることになり。1600試合でしたっけ?
村井 徹底的に対策を講じて試合再開してから、今日まで1600試合ぐらいやっています。先ほどの二元論ではないですが、「国民の健康に危害を加えるのか」「その感染対策でいいのか」といった話と、「これ以上中断したらクラブが破綻する、潰れる」「経済をどうするんだ」といった話が激突している状況でした。「こんなときに試合再開するのは無謀だ」という意見もありましたし。
執行 でもサッカーはあれから全然、感染者が出ていません。
村井 本当に、これはすごいことなのです。お客さんを入れた試合が1600試合ですから。お客さんと一緒になって、感染対策を進めていきました。最初は「手拍子禁止」と、私が言ったのです。手拍子をすると、みんな声を出し始めるからと。
だけどサポーターの中にJリーグを守ろうとする人たちが多くいてくれたので、手拍子を聞いていると声を出していない。それで「手拍子は解禁にしよう」と。「太鼓もダメ」と言っていたのですが、「太鼓も解禁しよう」と。
結局、ウイルスの本質をだんだん突きとめていく中で、レギュレーション(条件)を2週間に1回ぐらいのペースでどんどん変えながら、社会と共につくりあげた感染対策なんです。お客様を排除したら、そこからもう感染対策は生まれません。一緒にいてくれたから、感染対策が一緒につくれたと思っています。
執行 結果論はそうですが、それをやる勇気が大変なのです。これはやはり体当たりのアウフヘーベンを、自分の中で今までたくさん求めてきた、そういう生き方が成したことです。これは誰もできないでしょう。もちろん私も含めて。まったく何も出ていない頃ですから。
―― 中止も難しいですが、再開はもっと難しいのではないですか。いろいろな「危ないじゃないか」という声に負けそうになる局面だと思うのですが。
村井 必ずそういう議論になるのは、もう最初にわかっていました。中止するのも政府より早かったですが、再開するのが難しいと先にわかったので、どういう状況になれば再開するかを先に決めていました。意志決定の順番など、方法論の議論は置いておいて、思想や哲学みたいなことを、しっかり全57クラブと議論しました。
結局は二軸です。「国民の健康をリスクにさらすことや無謀なことは絶対にやめる」。一方で、「どんなことがあってもスポーツは絶対続ける」。この二項対立を先に置いたのです。
だから、絶対にスポーツを続けるために「今シーズンは降格なし」という、今までなかった突飛な案も出しました。だって2020年シーズンは、ホームとアウェーを交互にできないかもしれない。サッカーする人数が、お互い違うかもしれ...