●スポーツは本来「遊び」「余暇」だったが……
執行 これは私の思想でもあるのですが、今の人は、「根源」を忘れています。すべてのものについて。私は以前、「スポーツの根源」をしゃべったことがあります。
村井 ありましたね(笑)。
執行 これに村井さんもムカッと来たと印象記にも書いておられましたが、私が言ったということで、胸にとめて、ずっと考えていた。
村井 今でも、ずいぶん楽になっています。あの話は、20代か30代ぐらいに聞いた話で、スポーツが好きな私に、「村井さん、スポーツは貴族の余暇から出たものだ」と。
執行 英国やヨーロッパの貴族の余暇から出たものだということです。
村井 私はいわゆる、まなじりを決したスポ根が主流の世代ですから、「貴族の遊び」とか「貴族の余暇」からというところに、最初は少し「んん?」と思ったのです。
―― それはどういう思いだったのですか。
村井 「もっと崇高なものだろう、スポーツは」みたいな(笑)。その後しばらく忘れていたのですが、(Jリーグの)チェアマンになって、もう1回スポーツと向き合うことになったときに、その言葉を思い出したのです。
スポーツの語源デポールトは、中世のラテン語で「港を離れる」という意味なのです。日常の苦役から、一瞬「港を」離れて、ある一瞬、非日常を楽しむ。このデポールトがスポルトになり、スポーツになっていくのです。
ですから、その当時、馬に乗って狩りに出かけたり、釣りに出かけたりすることがスポーツの語源になるのだと。オリンピックで射撃があったり、乗馬があったりするのも、そのためです。結局、われわれの考えている、「まなじり決して」のスポーツというのは、もしかしたら学校体育、軍事教練から発生したものではないか。
よくスポーツが嫌いな人に「なぜ?」と聞くと、やはり学校体育が嫌でした。
執行 これは日本人だけではなく、英国でもそうです。
もともとは貴族の遊びですが、「遊び」というのは、けなしているのではありません。「遊び」は素晴らしいことです。要するに余暇、気晴らしで、それが人生には必要なのです。つまり嗜好品なのです。楽しむもの。
一番最初の間違いは、トーマス・アーノルドというイギリスの教育家です。ラグビー校という名門校にスポーツを取り入れ、人間修練に使いだしたことです。これは1つの目的があ...