●抜本的な改革を断行するときの「精神」とは?
―― 村井さんは、それこそ、リクルート事件のあとの人事改革や、そのあとの会社(リクルートエージェント=現リクルートキャリアなど)やJリーグでも、非常に抜本的な改革を手掛けられたと思います。やはり、それを断行していくときの……。
村井 今、執行さんがおっしゃったことが自分にとって中心的な思想の一つなのですが、執行社長といろいろ話したり、いろいろなディスカッションをしていく中で、万物を「客観的なるもの」と「主観的なるもの」に分けて考えるようになりました。
単数形で言うと、客観的なものは物質だったり、主観的なものは精神だったり。この相克みたいなものと、ずっと向き合ってきました。
ビジネスの世界に私がいたときに、今でもだいたい、あまりよくない経営は「ベストプラクティス」などということを言います。「ナレッジ」「ケーススタディ」などもそうです。物事を客観化して、真似しやすいように流通させる。客観は外から見ますので、受け手の解釈の誤差が少ないから、経営者が客観的なことを言うと、バッと全社に伝わります。ある意味、便利なもので、それらが横溢しているところに私はいました。
一方で、「私はこれがやりたい、成し遂げたい」という思いを経営会議などで言うと、「それはおまえの主観だろ?」「村井はちょっと情緒的過ぎるから、もう少しロジックで言え」みたいな議論になっていくのです。
しかし自分の中では、「主観が集合する文化的なるもの」と「客観が集合するサイエンス的なるもの」の両輪でと、ずっと議論していたものですから。それでこの両者の主従関係が、「科学」や「客観」のほうが破壊力が高いので、みんな社内ではそちらばかり言っていたときに、(執行さんから)「それは、こっち(主観)だ」という話をズバッと聞いた。これは私にとって、画期的なことでした。
執行 小林秀雄の言葉からもわかるように、すべてのものは二律背反なのです。必ず真実は、今の言葉で言えば「主観」と「客観」で、いいものと悪いものとが必ず合わさってできています。「すごくいいもの」や「すごく悪いもの」はないのです。
だから人間は、人間の生命的努力によって、いいほうに少し傾けなければいけない。これが人生論です。それが今、科学的な時代になって、すごくわからなくなっています。みんなすぐに「いいことをしよう」とか「何が人の役に立つか」といったことばかりしゃべります。
変な話ですが、人助けというものは、人を殺すことでもあるのです。これがわかっていなければいけない。
先ほどの話に戻ると、村井さんが2歳の子供を亡くされたときに私がしゃべったのは、生命的真実です。でも生命的真実をしゃべることは、村井さん夫婦を死ぬほど苦しめることになる可能性も高いということです。それを村井さんは自分の力で、いいほうに出してくれた。
だから私がしゃべったことを「偉いものだ」などと思ったことはありません。もし間違えたら、もう取り返しがつかないほど相手を傷つけることになるからです。しかし真実は、いつもその境界線上にあるということです。
村井さんはそういうものを、村井さんの人生を見てきて、すごく会得していると思います。
村井 すごく影響を受けています。私は私なりに、都合よく執行社長の話を解釈している部分が多分にあります。そのあたりがJリーグに行っても、海外事業をやったときにも、人事にしても、すべての基軸になっています。
●「始動力」を推し進める勇気
村井 あと、(執行社長からもらった内村鑑三の)『代表的日本人』に、西郷隆盛の「始動力」、いわゆる始める力、動かす力の話がありました。
内村鑑三が言うには、経済や経理は大久保(利通)らにやらせたほうが、ずっとできる。内政は三条(実美)などにやらしておけばいい。西郷は何もできないけれど、始める力がある。それをもって「始動力」だと。
やっぱり、ゼロのものから1をつくる勇気のほうが、事業にしてもビジネスにしてもはるかに……。
執行 宇宙の真実も、そうですから。それを西郷隆盛では「始動力」という名前を使った。たとえば電流で言えば、最初にグッと流すときは、普通の50倍、100倍の電流の力が要る。あれが始動力です。それは最初にやる人は、みんなそうです。
その話もずいぶんしました。例として原爆を挙げました。原爆(の開発)には大変な金と労力がかかっています。マンハッタン計画です。
次に、何年もしないうちに、ソ連がつくってしまった。これはスパイ事件だと大騒ぎになりましたが、原爆は「できる」とわかれば、もう誰でもつくれるのです。
ただ本当に原爆がつくれるかどうかは、アインシュタイン、エンリコ・フェルミ、ロバート・オッペンハイ...