●リクルートからJリーグチェアマンへ
―― 皆様、こんにちは。本日は執行草舟先生と、Jリーグの5代目チェアマンでいらっしゃいます村井満先生にご対談をいただきたいと思います。両先生、どうぞよろしくお願いいたします。
執行 よろしく、どうも。
村井 よろしくお願いします。
―― 村井チェアマンは、もともとはリクルートでいらっしゃいますね。
村井 はい、そうです。
―― サッカー界とは違うところからのチェアマンは初めてですか。
村井 はい。私は5代目ですが、5代目にして初めて門外漢がチェアマンになりました。いわゆる選手でもないし、クラブの監督やコーチでもない。クラブの社長だったり、サッカー協会とかJリーグで働いたこともない。まったくの門外漢です。
極めつけは、直近3年ぐらい香港にいた関係で、Jリーグの試合も見ていない。「誰だ、おまえは?」というところから始まりました。そういう意味では、本当に「よそ者チェアマン」の第1号です。
―― どういう経緯でチェアマンになられたのですか。
村井 私は江副(浩正)さんという創業者が始めたリクルートで、人材系の仕事をやっていました。最後は事業会社の社長をやっていたのですが、転職相談やキャリアチェンジなどのサポートをしていた関係で、選手が引退するときのセカンドキャリアの支援もしようとなった。
―― それも大きな問題ですからね。
村井 ある意味、外からサッカー界に少し、当時で言うCSR(企業の社会的責任)の観点から関わりました。そういう縁があり、たまたま1人、社外理事が必要となり、「出入りしている業者の村井にやらせよう」となった。月に1回の理事会に出る、社外理事になったのが始まりです。
●30代と20代だった2人の出会い
―― そしてチェアマンにということですが、そもそも執行先生と出会われたのは、かなり前だと……。
執行 もう35年以上前ですね。
村井 私はまだ新入社員で、当時は神田営業所で求人広告取りをやっていました。毎日毎日、一軒一軒、「ビル倒し」と言われる飛び込み営業をしていた。先輩たちが目抜き通りを担当して、私はジャンクショップというか、真空管を並べて売っているようなところを飛び込みしていました。
―― 秋葉原とか、その界隈の。
村井 そうです。もう本当に身も心もズタズタの頃に(笑)、日本橋の本町に……。
執行 そうですね。創業した場所です。
村井 そのあたりから始まります。社会人を始めて2年目、3年目ぐらいから、執行さんとはご縁がありました。だから自分の人生の中で、もう35年ぐらい。
執行 すごいですよね、思い出は。
村井 ものすごく長いご縁がありました。
―― 先生は、村井さんの印象というか、最初に出会った頃の思い出はございますか。
執行 初めて会ったときから、とても尊敬すべき人だとわかりました。村井さんも、私の非常にいいところ、思想が確立しているところを見てくださった。それで意気投合して、それからはずっと親しい人間で、友達です。忙しい合間を縫っては会社に遊びに来たりして、話をしてきた仲です。
村井 当時は日本橋本町ですよね。
執行 日本橋本町の永谷ビルで創業して、5坪ぐらいの小さな部屋でした。私が1人で創業して、社員が2人ぐらいかな。
村井 そうですね。
執行 これはつまらない話ですが、一番最初に印象が深かったのは、人間性もありますが、それよりも(当時の)皇太子殿下にそっくりだった(笑)。いやあ、私は驚いてしまって。
村井 育ちはずいぶん違いますが(笑)。
執行 そこはわかりませんが(笑)、とにかく今の天皇陛下、当時、皇太子殿下だった浩宮さまにそっくりで。若い頃はとくにそうです。あまりにも似ていてビックリしました。
それから、見かけはすごく静かなのに、秘める情熱がものすごくある。これは最初に会ったときから感じました。
ただ私も、(村井さんに)初めて会ったのはまだ若くて、33歳~34歳くらいの頃(いま私は71歳ですが)。だから村井さんもまだ若くて、心配したのは、村井さんが非常なる人材だというのはわかっていたのですが、非常におとなしく、引っ込む感じに見えたので、本当に持っている良いところが出せるのか出せないのか。そのへんは心配しました。
村井 本当におっしゃるとおりで、忘れもしない、新入社員で神田営業所に配属されたときに、10人の前で自己紹介ができなくて。もう、その初日に会社を辞めようと思ったほどです。「今夜の新人歓迎懇親会は、村井が司会をやって盛り上げろ」と言われたのですが、「人を笑わせる」とか「ウケる」といった概念が、自分の中にまったくなかった。
執行 真面目タイプですからね。
村井 もう、その日に辞めようと思いました。もう、おっしゃるとおりで。
執行 で...