●緊張しなくなるのは「成長が止まったこと」
村井 あの(Jリーグチェアマン)就任のときの話でいうと、私は20代の後半ぐらいから「緊張をするほうを選ぶ」と決めていました。自分は気が小さいし、ある種、線も細い人間だったので、「迷ったら、すべて緊張するほうを選ぶ」と。
執行 「困難な道」ですね。それは『葉隠』です。
村井 できるかできないかギリギリのときしか、自分は緊張しないとわかったのです。絶対無理なことには、小心者の私でも緊張しない。猫を抱いて自己紹介するときは、まったく緊張しない。たとえば国会答弁を見ていても、あそこに呼ばれるはずがないから緊張しません。けれども、10人ぐらいの職場で挨拶しろと言われると、緊張する。
それで、私が緊張するときは、「できるかできないか、ギリギリのときのサインなのだ」と考えるようになりました。前頭葉で考えたのではなく、勝手にそれが教えてくれるので、そっちのほうだけを選び続ける。20代の終わりから30代、40代と。だからリクルート事件のときも全部そちらのほうで選んでいきました。
最初に(Jリーグの)チェアマンを打診されたときは、まったく緊張しませんでした。「できるわけないじゃないですか」と笑っていたのです。「サッカーも見ていないのに」と。だけど相手が真面目に言ってきたのを見て、ゾクゾクっと来るような緊張が襲ってきたので。
執行 『葉隠』の世界ですよ。
村井 それで、その場で「やります」と言ってしまったのです。
―― 緊張が来たから「やります」ということなのですね。
村井 「あ、(緊張が)来た、来た」「じゃ、やります」と言って、それからすぐに会見場に行って。
執行 「命を賭して」(笑)。
村井 そう(笑)。そのへんの思考回路は、自分の中では極めて自然な流れでした。
執行 これはもう『葉隠』そのものです。考える前に行動が出ている。二つ二つの場で「命が死ぬほうに行きなさい」と。要するに「困難な道をとれ」ということです。
村井さんはもともと『葉隠』的な勇気に憧れてきて、自分も何度も何度も修羅場を経験した。それが一つの集大成として出たのです。これは簡単そうだけれども、大変なことだと思います。公の場で言うのですから。
村井 私はずっと一貫して20代後半から変わらずに困難や緊張するほうを選んできたのは、「初心忘るべからず」ではありませんが、「昔は緊張していたけれど緊張しなくなった」ということは、もう成長が止まったということだからです。
執行 そういうことです。
村井 緊張感は、首相になれば首相になったで、大きいものが来ます。
執行 だから、死ぬ日まで緊張している人が、昔から「人物」なのです。現代人は、ゆったりしたいとか、スローライフ的な世間ですから、全然忘れてしまって、ある意味みんな家畜化しています。しかし、緊張して生きることが「人間として生きる」ことです。だから、ある程度の人生を送った方は、みんな死ぬ日まで緊張して生きました。
吉田茂は、フランス語の辞書か何かに身を突っ伏して死んでいたそうです。あの人だって、最期の日までフランス語を勉強していたのでしょう。私はその記事をどこかで読んだときに、好き嫌いは別にして、やはり吉田茂は偉大な人だとわかりました。
だから私も「死ぬ日まで体当たりしていく」と、みんなに言っています。そういう心構えでいる。
村井 本当にそう思います。
執行 村井さんはごく当たり前に言われていますが、それは村井さんの人生がつくってきたもので、これは『葉隠』の実践なのです。今、村井さんがいいことをおっしゃいました……。
村井 「緊張しなくなると、成長感が止まる」などでしょうか?
執行 「緊張しているのは当たり前」と捉えられる。そういうものが、勇気というものを考え続けながら自分の中で、模索というか、葛藤してきた「人生」なのではないかと思います。
●つねに困難なほうを選べ…ただし自分のペースに合わせよ
執行 私の一番好きで、一番尊敬している哲学者ミゲール・デ・ウナムーノの言葉で、「人間は、人間以上のものになろうと思って初めて、人間的になれる」というものがあります。私はこの言葉や思想が好きで、この言葉を信じて、そのとおりになろうと思って生きています。
だから、ある程度の人生を送る方は、もう絶対にできないぐらいの人間以上の力を出そうとして、それでようやく、ただの人間で終わる。現代人を見ると、みんな「ただの人間でいい」と最初から思っています。「人間だもの」という言葉がありました。こんなものは、人間になれない。動物です。
私はこれを現代社会の病根だと思う。村井さんの人生は、その反対ということです。これは「おだてすぎ」だと思われるかもしれませんが、これは...