●川柳や狂歌の源流は「二条河原の落書」
本村 前回のシリーズで話しましたが、江戸には非常に立派な水道が引かれていました。その水道の水を井戸にして、ある単位ごとに誰もが井戸を持ち、自分のところまで水を持っていくシステムでした。
ところが、その水道が必ずしも行き渡らなかったり、何かの都合で廃止になったりすることもあります。玉川上水や神田上水に来ている水を配る段階での話です。そういうわけで井戸が使えなくなったので、しょうがなく自分で井戸を掘ったところがあり、それを皮肉ったものがあります。
「本所深川銭亀の反吐を呑」
そこら一帯の水道井戸がなくなり、井戸を作ってしまったが、すぐ近くに雪隠(便所)やあくたまり(ゴミ捨て場)があるので、ろくでもない水しか出てこないということを皮肉った句です。
それから、次はどちらかというと狂歌のようなものかもしれません。
「親の意見となすびの花は千に一つも仇がない」
これについては、「親の説教と冷や酒はあとで効く」などと今でも言われます。つまり、大人になると分かることが、そのときは分からないでいたというようなことを、そんな句で楽しんだりします。
「雪の朝これが塩なら大儲け」
というのも、やはりこれを塩として売れば大変な額になるという面白みです。砂糖という説もありますが、砂糖ならもっと高いでしょうね。そういうものもあります。
もともと京都には、狂歌の元になるようなものとして、二条河原の落書がありました。
「此比(このごろ)都ニハヤル物/夜討(ようち)強盗謀綸旨(にせりんじ)」
「謀綸旨」は偽の命令書ですが、そういうものが強盗などと同じように出てくるということが、京都ではいかにも古くから言われていた。そういうものが、江戸の中にも自由なかたちかつ庶民レベルで楽しめる余裕が出てきたところが、非常に面白いところではないかと思います。
―― 川柳で非常に有名なのが『誹風柳多留』という句集ですが、あれができてくるのが明和2(1765)年から幕末ギリギリの天保11(1840)年まで。最終的には167編が刊行されたようですが、そこまでずっと営々とつくられ続けたということなので、やはり先生がおっしゃるように江戸の後期のタイミングになりますね。その時代に、庶民もこういうものを大いに楽しんでいく形になるわけですね。
本村 そうです。
●風刺詩でたどる<冷笑>と<嘲笑>の精神
―― ここまでは日本の川柳の世界でしたが、一方でローマの風刺詩というのはどういう内容のものになるのでしょうか。
本村 これは私の解釈ですが、代表的な詩人としてホラティウスとマルティアレスとユベナリスの詩を挙げることにしました。
「間男どもの成功を心よからず思うなら、耳を洗って聞くがよい。彼らは四方八方でさんざん苦労したあげく、こうした邪道の楽しみは、いろいろ苦労を伴って、しかしほとんどものにならず、えてして危険な目にあって、損をするのが関の山」
というのが(最も古い)ホラティウスのものです。よその女性や高級な貴婦人に手を出してうまくいったような話を聞いて、悔しいと思っている人がいるけれど、実際はどこかの押し入れに叩き込まれたりして、そういう話がゴロゴロ転がっている。そんなことがうまくいくのは本当にごく一部なのだ、という内容の詩を書いています。
ところが、マルティアレスはもう少し違います。
「何だってわたしが金持ちの女を妻に欲しがらないかとお尋ねかね? わたしゃ自分の女房を旦那にもちたかないんだよ」
ということで、女性がお金を持ったり、自立したものを持ったりしていると、自分が女房をもらったつもりなのに自分のほうが女房になってしまうという、一種の嘲笑の精神です。
先ほどのホラティウスは「損するからやめておきなさい」と言っていたのが、マルティアレスになるともっと女性に厳しいというか、めったにいい女などいない、要するに女性らしくかしずいてくれるような人間とはなかなか会えない。女性蔑視の精神もどこかにあるのかもしれませんが、なんとなく突き放している。「損するからやめておきなさい」を<冷笑>の精神だとすると、もう少しアグレッシブになった<嘲笑>の精神があるのです。
●社会の腐敗を批判する精神の芽生え
本村 ところが、ユベナリスの風刺詩を見ましょう。
「もっと悪いのはストア派の英雄ヘラクレス風の話し方で、そのような狂気の言動を非難し、美徳について語りながら、実のところ尻を振っている連中だ」
ここでは、この頃ローマにだんだん入り込んできた同性愛的な世界に惹かれているという時代的背景を念頭に置くと理解しやすくなります。ストア哲学の言動を説き、美徳について語りながら、実際には尻を振っている。ユベナリスは、「...