●遠近法の思想が民主主義を生み出し、科学文明を作った
―― すごいですね。先生に気づかせるところまで読み込んで、それを表現にまで落とし込んだわけですね。
執行 それを表現できるのがすごいことで、芸術的天才がないとできないことです。私は感じる心はあっても、それを絵にしたり、音楽にしたりすることはできません。なんとか言葉でしゃべろうとしているぐらいです。
―― ウナムーノの詩をこの絵にしたわけですからね。
執行 これが何点もあって、詩の中のいろいろなものに従って描いてあります。すべてを八反田先生ご自身が気づかれているかはわかりませんが、すべての作品が「逆遠近法」で描かれています。
最初に遠近法を少し理解しておく必要があります。民主主義と科学文明は、簡単にいうと遠近法です。よくルネッサンスの時代に、ヨーロッパ文明は遠近法を発明したといいますね。
―― はい。
執行 これは科学文明のことです。我々が見たとおりに表現する力です。だから我々も、もうそこで「神」になったのです。実は自分たちが神になったことに、まだ気づいていないのです。
―― なるほど。
執行 それに気づかないで、芸術的に作り上げたのがルネッサンス期にできた遠近法です。あれが民主主義を生み出した。嫌な言い方をすれば、遠近法の思想が民主主義を生み出し、科学文明を作ったのです。それが原爆を生み出し、現在の公害社会を作ってしまった。
それに引き換え、東方正教会のイコンは逆遠近法です。逆遠近法とは何かというと、多視点、見る目がたくさんあるということです。それからプリミティブ。要するに原始性です。
―― 原始ですね。
執行 古代。原始性。それから多視点性。視点がたくさんあるということ、複眼です。だから神道的でもあり、日本的といえば日本的。
―― 確かにそうですね。神道的ではありますね。
執行 そう、神道的なのです。これが逆遠近法で、「宇宙全体の力」で芸術を見ているのです。宇宙全体の力ということは、言い換えると神の視点です。
―― なるほど。
執行 イコンをよく見ているとわかるのですが、イコンとは、人間が我々の合理的精神で見ているのではないのです。イコンから、我々が「見られている」のです。
―― 見られているのですか。
執行 簡単にいうと、我々が「見る」文明が、遠近法。我々が「見られる」文明が、逆遠近法。そして東洋の禅などは逆遠近法。
―― 禅は逆遠近法なのですね。
執行 東洋文明は大体そうです。キリスト教文明だと、ビザンティンが逆遠近法。西欧文明が残した芸術作品としては15世紀や16世紀に多く残っていますが、今のロシアやウクライナに残っているイコンが代表です。
イコンを私はもともと好きで、本当の作品は少ないですが写真ではたくさん見ています。イコンは要するに「日本画」なのです。
―― そういう理解なのですね。
執行 特に平面的というか、イコンを見ると、我々が見る本当の姿ではありません。西欧の絵画のほうが写真に近い。
―― そうですね。
執行 ところが、イコンは漫画に近い。東洋はもともと漫画的なのです。だから日本が今、漫画文明になっているのは偶然ではないのです。もともと浮世絵や日本画も、漫画ですから。平面的で。
―― 確かにそうですね。
執行 昔の日本画は、現実の人と全然違います。浮世絵も全然違います。ところが、浮世絵からヨーロッパ人も影響を受けています。あれはみな逆遠近法です。東洋文明もそうで、あれは「見られている」のです。「見られる」というのは神のまなざしです。
だから、中世のような、人間が非常に信仰深く、「宇宙から我々は創られたのだ」という信仰心を持っている頃は、全部あの視点(見られる視点)だったのです。
―― なるほど、逆遠近法だったと。
執行 芸術は逆遠近法でした。
―― 中世だから、そうなのですね。
執行 そうです。中世は西欧もそうでした。ところが西欧にだんだん神がいなくなり、だんだん人間中心になってきて、遠近法を生み出した。ニュートンなどが出てきて運動方程式を作り、物理学を生み出した。これは、我々が人類史として学んでいる歴史です。だけど、文明的にも人口的にも、「逆遠近法」のほうが多いのです。
―― なるほど。
執行 でも、逆遠近法を堂々と今、芸術として打ち出せる人は、あまりいません。芸術観そのものが西ヨーロッパに汚染されている。西ヨーロッパの思想に近いもの以外を我々は芸術として認めない神経になってしまっている。
今、人に認めてもらうにはヨーロッパ的思考を取り入れないかぎり、ダメになってしまった。だから、日本画や禅などが逆に西洋画的になっています。今の日本画や禅は、逆遠近法という本当の意味の日本画や禅ではない。
―― も...