●循環文明こそが当たり前であり、西欧文明のほう珍しい
―― コシノジュンコさんはミャンマーのサッカー代表のユニフォームをデザインしています。私は別の用事でミャンマーに行ったとき、同じ飛行機にコシノジュンコさんがいて、彼女がミャンマーでやるファッションショーに招待されました。そのときに彼女のデッサン図がズラッと置いてありましたが、それは先生が言われるように、まさに平面図でした。
執行 平面図でしょう。
―― だから、最初は分かりませんでした。でも仏性が強い。ミャンマーは仏教大国ですから、ミャンマーの人にはものすごくウケたのです。
執行 そうですか。
―― ミャンマーの人は、どんなに貧しい人でもお布施を出しに行きます。寺院も、日本の仏教寺院とまるで違う。そうした中で、あの平面図がウケるのです。
執行 分かりやすいのです。インドの色彩豊かな神様の芸術も全部そうです。東洋はそうなのです。
―― ヒンドゥーも先生の言われるとおりですね。
執行 だから、珍しいものではなく、本当はあれが人間の循環の文明です。文明史や人類史を研究すると、ルネッサンス以来の西欧文明のほうが、どちらかというと珍しいのです。珍しいから勝ったのです。全部を植民地にして、要は力ずくで虐げただけですから。
―― 無限成長ですからね。
執行 宇宙の一環として、当たり前に循環文明で暮らしていた普通の人にとって、今流の兵器を持ってこられたら、力でかなうはずがない。その始まりがあの砲艦外交の黒船です。日本もみんな黒船にやられた。「文句があれば、江戸に大砲撃ち込む」とペリーははっきり言っています。話し合いではない。「話をしないなら、江戸城に大砲を撃ち込む」というのが話し合いなのかという話です(笑)。
―― 本当にそうですね。結局同じなのですね。トゥキディデスの『戦史』に出てくるメロス島の人たちと同じようなものです。話し合いや正義は、力が対等のときにだけあると。
執行 そういうことです。だから、実際にはもう循環文明に戻る。西洋人でも、優れた人は全部分かっていますが、民主主義は大衆文明です。西欧の大衆は分からないということです。
―― なるほど。
執行 19世紀に日本画から影響を受けた人が印象派を作りました。ルノワールとか。
―― 浮世絵から。確かにそうですね。
執行 彼らは循環文明や、今言ったイコンの文明が分かっていたということです。
―― (フランスの作家)アンドレ・マルローも分かっていたのですね。
執行 マルローもそう。(仏文学者の)竹本(忠雄)先生も霊性文明と言っていました。優れた人は、西欧人もみんな分かっているのです。でも大衆は分からない。大衆は今でも合理性や強いものが勝つ世界だと思っています。
―― その無限成長が今、本当に行き詰まってきたわけですね。
執行 だって無限成長なんて、するわけがないじゃないですか。これは精神病だと思います。
●西欧文明は「私=私」、霊性文明は「私は私ではない」
―― ルネッサンス以降が頂点でしたね。
執行 特に今は滅びそうになっています。滅ぶ前は、みんな固執がすごい。一言何か言ったら、もうテレビでも一切出られなくなります。
特に滅ぶ前は、恐怖感がある。怖いのです。
―― やはり滅ぶ前は、恐怖感があるのですね。
執行 みんなそうです。だから余計、やり方がひどくなる。
―― 叩き方がすごいですね。
執行 だから、今日は絵を見る前に、まず真のリアリズムが霊性文明にあることを、分かってほしいのです。八反田先生の絵は、見慣れない人だと分からないので。「私は私ではない」ということが分かるかどうかです。「私は私ではない」というのが霊性文明です。なぜなら作られているから。
つまり「私=私」が西欧文明で、「私は私ではない」が霊性文明。ビザンティンの文明であり、禅です。理論的にいうと、例えば「自分よりも親のほうが大切」「自分よりも会社が大切」「自分よりも家族が大切」というのが霊性文明です。
―― なるほど。
執行 真のエゴ、自我は西欧文明。スコラ哲学者のトマス・アクィナスが生み出しました。「私は私ではない」を理論的、科学的にいうと、どうなるか。例えば、今「自分だ」と思う自分は、0.001秒も存在していない。これは細胞学でも証明されています。
今の自己はもう、瞬間の中でしか存在しない。1秒後には死んだ細胞もたくさんあり、1秒前の自己ではない。これは物理学でも細胞学でも証明できます。
―― 瞬間なのですね。
執行 瞬間のもの。この瞬間を「自分」と思う理論を構築したのが西欧文明です。でも、これは間違いで、本当は自分と思う自分なんかはもういない。どんどん人間は死んで生まれ変わり、生きている。宗教的には、そうです。この宗教的に...