テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録 テンミニッツTVとは
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

「洗礼」「聖なる丘」…我々に向かって剣が振り下ろされる

逆遠近法の美術論(9)八反田友則氏の絵を鑑賞する-4

執行草舟
実業家/著述家/歌人
情報・テキスト
「洗礼」と名付けられた絵は逆遠近法的に見たイコンの十字架で、我々に向かって振り下ろされる剣にも見えてくる。この絵からは騎士道も感じられるが、「洗礼」という名で示したかったのは義を携えて生きることが人間の生きる道ではないかと語る。続いて「聖なる丘」だが、これはキリストが磔にされたゴルゴタの丘のことである。この絵を全13点中の最後に持ってきたのは、『ベラスケスのキリスト』が人間の命の根源を語っていると八反田友則氏が捉えたからではないか。(全10話中第9話)
時間:13:04
収録日:2022/08/30
追加日:2023/05/05
カテゴリー:
タグ:
≪全文≫

●「洗礼」は逆遠近法的に見たイコンの十字架


執行 今度はこちらです。先生が付けられた題名は「洗礼」です。これは特にわかりやすくて、逆遠近法的に見た十字架です。

―― なるほど。逆遠近法で見ると、こういうふうに見えるのですね。

執行 十字架は、一つだけではありません。こちらにもあるし、こちらにもある。見えてくると、わりと幼稚な感じに見えます。つまりはイコンなのです。イコンの十字架。

―― そうですか。イコンと言われるとわかりますね。

執行 そして先生が付けられた題は「洗礼」。先ほど少し説明しましたが、イコンとして見た場合、我々がこの絵を見ているのではなく、この絵が我々を見ている。その見方がわかってくると、これが剣に見えてくるのです。我々に向かって剣が振り下ろされる。

―― なるほど。剣が向かってくると。

執行 キリストの言葉にもあります。「ルカ伝」の12章49節以下に「私は火を投ずるためにこの世に来た」と。それを剣で表して火を……。

―― 火を投ずるのを剣で表しているわけですね。

執行 そう。要するに厳しい。先ほどの言葉で言うと「義」です。義を貫くためにこの世に来た。それが、この絵から我々に向かって放射されているエネルギーなのです。

 この絵をよく見たときに、私は中世ヨーロッパの神殿騎士団とも呼ばれた、テンプル騎士団のマークを思い出しました。

 テンプル騎士団ができたとき、聖ベルナールという偉大な聖人がいたのですが、『騎士道典範』という騎士道に生きる騎士の心構えを書きました。そこにこの言葉が出てくるのです。

―― なるほど、聖ベルナール。

執行 どうして「洗礼」という題を付けたか。『ベラスケスのキリスト』から受けた印象として、キリストの一番強い義を携えて生きることが、人間の生きる道だと示したのではないか。それが西欧文明で言うと、騎士道なのです。

 日本文明で言えば、武士道。武士道が好きだから、私はそこがわかるのです。

 前の黒い絵(『門』)でも言いましたが、私はこの絵からも一つの阿頼耶識(あらやしき)、宇宙の生命の流れを感じます。これが3体あるのも、宇宙的バランス感覚です。本当は1体だけでいいのに3体あるということは、宇宙的バランス感覚ではないかと思います。

 理屈を言えば、いくらでも言えます。洗礼の意味も、この世の人に問うているように思います。洗礼の意味は『ベラスケスのキリスト』の中でも問われていて、これを八反田先生も問うています。洗礼とは命を投げ出して生きることだと、この絵そのものが我々にメッセージを送っているのです。

―― なるほど。命を投げ出して生きると。

執行 我々は、そのような武士道や騎士道が持っていた厳しさを失っています。

―― そうですね。全く否定されていますね。

執行 だから、「死ぬために生きるのが我々」というのは、実は禅的とか武士道的だけでなく、西洋論理学的に言っても正・反・合なのです。つまり弁証法です。弁証法的なものでないと、人生はダメなのです。人生は、一つの価値観だけだと必ず腐ります。

 先ほど言ったように東洋文明だけでもダメ、西洋文明だけでもダメ。反対するものが二つ合わさり、どこかで折り合いをつけたときに弁証法的人生が生まれる。それが人生です。だから、苦悩しなければダメです。一生苦悩する。「死ぬ日まで苦悩しろ」と言っている絵なのです。

―― なるほど。

執行 だから「洗礼」と付けた。すごいでしょう。私も驚いています。イコンとして見なければダメとわからないと、これがわからない。

―― そうでしょうね。


●「聖なる丘」…本当の美は宇宙の悲しみの中に漂っている


執行 これが最後になります。先生が描かれた13点目で、『ベラスケスのキリスト』の詩から受けた印象の最後を飾る絵です。これを見て直感的に思うのは、まず先生が付けられた題名です。「聖なる丘へ」。

―― 聖なる丘。

執行 聖なる丘は、地上的に言えば(キリストが磔にされた)ゴルゴタの丘です。ゴルゴタの丘がどういう丘かというと、ゴルゴタはヘブライ語で「どくろ」のことです。どくろがゴロゴロ転がっている丘だから、ゴルゴタの丘。

 それを「聖なる丘へ」と。私はこの中にもちろん、どくろも感じます。どくろが入っているのが見えてくる。我々は地上ではゴルゴタの丘を見ますが、ゴルゴタの丘は日本で言えば処刑場ですから、どくろがゴロゴロ転がっている。キリストが処刑された場所を最後にして、「聖なる丘へ」と題名を付けた。『ベラスケスのキリスト』が人間の命の本源を語っていると八反田氏が捉え、最後を飾る絵として描かれたのではないか。

―― なるほど。

執行 これは簡単に言うと、我々の生命のイコン化です。我々の生命は、地球上では骨と肉ですが、宇宙的に言...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。