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「磔刑 再会」「磔刑 ただひとつ」…芸術の見方とは?

逆遠近法の美術論(6)八反田友則氏の絵を鑑賞する-1

執行草舟
実業家/著述家/歌人
情報・テキスト
最初に作品解説する八反田友則氏の絵は二つの「磔刑」。一つ目の絵には「磔刑 再会」という題名が付けられている。この絵には、天から降り注ぐ精霊を感じる。それは三島由紀夫が『豊饒の海』で表そうとした仏教の唯識論に出てくる阿頼耶識でもある。「再会」という題も大事で、ここから想起するのも三島由紀夫の文学である。芸術の鑑賞は絵だけ見ても分からない。音楽や文学など、あらゆる角度から総合的に捉えることが大事である。続いての絵の題名は「磔刑 ただひとつ」。この絵から感じるのは、地底から湧き上がり、天空に向かっていく生命である。作品から想起された「月に帰るかぐや姫」の伝説は永遠のロマンティシズムとも言えるが、それが失われたことを象徴する絵でもある。(全10話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:15:43
収録日:2022/08/30
追加日:2023/04/14
カテゴリー:
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≪全文≫

●三島由紀夫の文学につながる「磔刑 再会」


執行 (八反田友則先生の)13点の絵のうち6点ほど説明します。これは『ベラスケスのキリスト』を読んだ八反田先生の想念で描かれた絵です。

 これは今ずっと説明してきたイコンの芸術、または作品から見られている芸術の代表的なものの一つです。先生が付けている題名は「磔刑」です。磔刑とはキリストの磔です。磔刑について3点描いていて、その2番目です。「磔刑 再会」という言葉が付けられています。

 私はこれを最初に見たとき、「再会」という題名によって、作品から見られることが分かったので気づいたことがありました。私の好きな文学で言えば、三島由紀夫の『豊饒の海』の1巻目『春の雪』です。主人公の松枝清顕が最後に死ぬにあたり、親友で4巻まで出てくる本多繁邦に「きつと会ふ。滝の下で」、つまり「また会おう」と言います。有名な言葉ですが、これを私は感じました。

 三島由紀夫があの作品で表そうとしたのは、阿頼耶識(あらやしき)です。阿頼耶識は唯識論という、(中国の大乗仏教宗派の一つ)法相宗が提唱している唯識論に出てくる言葉です。唯識論では五感のほかに第六感、第七感、第八感があるとしていて、第七感が末那識(まなしき)です。

 その上にある第八識が阿頼耶識で、神の霊魂、神の流体と言われている流れのことです。宇宙の中を貫徹する流れで、唯識哲学を描いている長編作品が『豊饒の海』なので、その滝を思ったのです。

 この絵に私は、天から降り注ぐ精霊を見ました。これは地上から見ると滝です。ここに阿頼耶識の生命の流れが、怒涛のように自分の中に入り込んでくる。この輪が生命だと思うのです。この中に阿頼耶識が貫徹している姿に、一つのイコンを感じたのです。

 この生命の輪と宇宙を貫徹する阿頼耶識の滝の流れ。それもわれわれがいう、ただの滝ではない。宇宙の中を貫徹する暗黒流体としての滝です。三島由紀夫が(作品のなかで)滝の下で会おう、「きつと会ふ」と言った、その滝です。八反田先生は芸術的感性で本能的に『ベラスケスのキリスト』の磔刑の中から、そんな想念が浮かんだと思うのです。

 磔刑の中でキリストが神に呼びかける言葉があります。その呼びかける言葉が復活してくるのです。見えないものが見えるようになることを「神の実在」とよく言います。それがこの滝として出てきて、磔刑になっているキリストに神の霊魂、阿頼耶識が降り注ぐ姿が描かれているのです。

 そういうものを私はこの絵から一撃で感じ取りました。これを感じ取るために大事なのは、「見てはいけない」ということです。「絵から見られなければ」いけない。それが先ほど説明したイコンの文明で、そういうものが描かれているのです。何となく感じるでしょうか。あまり近いと分かりにくいので、少し離れたほうがいい。

 私はこの絵によく「再会」という題を付けられたなと思います。「再会」という題で私は阿頼耶識の流れを直感しました。三島由紀夫の文学が記憶に蘇ったのです。

 芸術の鑑賞は音楽や文学など、あらゆるものを総合して見なければダメです。絵だけから、絵が分かることはありません。絵とは、絵の具を通して宇宙の何ものかを語っているのです。それが自分の中では、それぞれみんな記憶が違いますから、それぞれの思い出とか自分が勉強した材料でしか解釈できない。私の場合は、三島由紀夫の文学とすぐにつながった。そういうものを感じたのです。

―― なるほど。

執行 『ベラスケスのキリスト』の磔刑の場面が、これだけのものを先生の中に生み出したということです。そういう力が『ベラスケスのキリスト』の中にもあるということです。

―― それはすごいですね。

執行 そういうことなのです。


●「磔刑 ただひとつ」と月面着陸で失われた永遠のロマンティシズム


執行 次はこれですね。明るい感じになっています。これが、八反田先生が描かれた磔刑の3番目です。「磔刑 ただひとつ」という題名が付いています。

 先生の作品は題名もすごいのです。「ただひとつ」を私はキリストの命が神と合体するときの姿と捉えました。こういう捉え方は、私の感性にはない素晴らしい捉え方です。

 先ほどの絵の滝は天から降り注いでくるエネルギーですが、この絵から私が感じたのは地底から湧き上がって天空に向かっていく生命です。地から湧き出づる、我々人間の命です。それをこの色やブツブツしてどんどん湧き上がってくる様子から感じました。

 私はもともと、かぐや姫の伝説が大好きなのです。人間の一番の憧れ、我々の一番の魂のふるさとを私はかぐや姫の伝説の中に見ています。子どものときから、ずっとそうです。

 かぐや姫が天に向かって上がっていく姿を小さい頃の夢で見ました。かぐや姫が黙って天に...
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