●「見られている」という見方をすると「神のまなざし」が見えてくる
―― (八反田友則氏の絵を)見る前に聞かせてもらうと、すごく分かりやすいですね。
執行 先ほどの「義ならざるものは結局美でない」も相当分かりやすいでしょう。
―― あれもすごいですね。
執行 この美術館の座右銘です。
―― 義と愛が違うというところも。
執行 そうですね。「愛」は「義」の中に含まれるのです。あとは「見られる」。作品を見ようとすると分からなくなる。作品から「見られる」ということが分かってくると、だんだん分かるようになるのです、八反田先生の絵は。
―― ギリシャ正教とローマカソリックの違いが、ものすごいですね。
執行 そうです。あとでちょっと説明しますが、大雑把に言うと、このような文明の違いがあるのです。
―― 先生が言われることの真逆が、メトロポリタン美術館です。
執行 そうでしょうね。(西洋美術の)代表だから。
―― 代表で、ニューヨークの金持ちの総本山。しかも全部、その絵画は遠近法です。(アメリカン・リアリズムの代表的画家)アンドリュー・ワイエスから始まって、全部。
執行 はい。
―― ただ少し変わり始めています。先生が言ったように飛び抜けて優れた人、飛び抜けたる金持ちは、少し変わり始めている。
執行 ほう。
―― きっかけになり始めているのではないか。でも何も分からずにロシアの美術館に行ってイコンをたくさん見ても、普通はなかなか理解できません。遠近法に慣れているから。
執行 だから「幼稚」と思うのです。
―― すごくよく分かります。漫画みたいに見える。浮世絵みたいに見える。ヨーロッパのエルミタージュ(美術館)から持ってきた絵は別にして、もともとあった絵を飾ってある空間に行くと、やはり幼稚に見えるのです。
でもなぜそうなのかと考えたとき、先生の説明は非常に分かりやすいですね。「見られている」のか「見ている」のか。
執行 その違いによって、幼稚なものが本当に深淵になる。「見られている」という見方をすると、イコンの中にある本当に神のまなざしが見えてくるのです。
―― 仏教で言う「空と縁起」みたいなものですね。あれだと相対化できるから、本当は楽ですよね。
執行 そうです。
―― 生きていくのがすごく楽になる。はるかに安らかに行けるのに、それを放っていますよね。非常にもったいないと。
執行 これだけはしょうがないですね。
●インパール作戦と無限経済成長は変わらない
―― 江戸時代とビザンティン帝国は近かった。そういう話をしてもらうと、すごく分かりやすいですね。
執行 江戸時代は惜しかった。幕末の日本人の生活を見ていると、本当に霊性文明を感じます。あと50年か100年、江戸時代が続いたら、もう言葉は要らないでしょう。普通の家族も何も喋る必要がなくなる。よく言えばテレパシーです。
―― 江戸時代は極めて質の高い、いい文明ですよね。
執行 武士のような指導階層がいたからです。日本人はどうしてそうなれたかと言うと、みな武士道に憧れました。百姓、町人、末端に至るまで武士道的に生きようとしたから、そうなったのです。
―― リスペクトしたのですね。
執行 そう。リスペクトがあったから、そうなれたのです。指導階層がいても、「何だ、あいつら金持ちどもが」みたいに憎んでいたら、そうならない。日本の場合、指導階層の武士を百姓も町人もみなが尊敬していたので、そうなったのです。これは明治の人間の生き方、明治の軍人などから、はっきり分かります。
―― 江戸時代に規範教育を受けた人たちですね。
執行 その人たちが死んだところで明治が終わり、大正になってから知っての通り、とんでもないほうに向かう。
―― はい。
執行 一般には武士ではなく、学校出が偉くなったのです。
―― 確かに武士と、安普請でつくった陸軍大学や海軍大学や帝国大学とは全然違います。
執行 もちろん違います。乃木希典や東郷平八郎の人生と、昭和陸海軍の司令官の人生を見ても同国人には見えません。
―― そうですね。そのような考察が一つ入ると、昭和史はかなり分かりやすくなりますね。
執行 全部分かりやすくなる。ただ先ほども少し言ったように、東洋文明や霊性文明にも悪いところがあります。人間の命を軽く見るところです。
―― そうですね。「自己犠牲を払え」となりますからね。
執行 それが行き過ぎると、自己犠牲が当たり前みたいになる。これもまた問題で、そのあたりのバランスのとり方が非常に難しい。
―― 確かに自我の部分と自己犠牲の部分とのバランスの取り方は、すごく難しいですね。
執行 すごく難しいと思う。だから次の文明は、これを乗り越えていかないとダメなのです。
ヨーロッパ的な...